TheRootSeller 外伝 4 「そんな彼らに花束を」　[1-23]

「うん」
　位置から言うと俺の後ろにこいつがいることになる。しかし、つ…とまるで滑るようなあの動きで俺とヤミギツネの間に出る。両拳を胸の前よりやや突き出すくらいに構えて、じっと相手を見据えている。
　…慎重だな。さすがに分かっているか。
　ヤミギツネ。「ヤミ」と付いてはいるが全身は真っ白い。見た目は胴の長いイヌ…いや、あの長い鼻とぴん、と立った耳はやっぱりキツネだな。顔だけなら通路の半分くらいはありそうだぜ…そんな大きな頭に細長い胴体をしている。頭だけ見りゃもっと大きな動物にも見えるんだが、胴体は意外とほっそりとしているから単に頭でっかちなだけにも見える。が…頭から尾までなら俺の身長なんかよりはるかに大きい、いや長いんだ。目の前のこいつなら…俺の二人分くらい必要かも知れん。ウワサ話に聞く迷宮の周囲をぐるりと一回りしちまうやつよりは小せえな。ま、そんなのはおとぎ話みたいなもんだ。俺もヤミギツネには前に何度か遭ってるが、大抵はこんなもんだ（本当はもっと深い階層で出るんだがな）。ただ顔が通路を覆い隠すくらいにでけえんでほとんど奴はびっくりしちまう。無理もねえ。
　目が見えないことでも知られている。嗅覚と聴覚で獲物を探す。目玉はもうねえんだ。が、その目があったはずの場所は光を受けると銀色に反射しやがるんだ。まるでなくなった目ん玉があるみたいに…いや、普通に目が光るやつよりもなんだか気味が悪い。ないはずのものがあるってのはやはり不気味なもんなんだ…やだねえ。
　迷宮での生活に順応して目が見えなくなったんだろうとされてる。しかもこういうイヌやキツネには必ずある爪がないんだそうだ。小さくなって足の先に隠れちまってるって話でな、こういう石だらけの場所でも爪の当たる音がしない。これで気配を殺して獲物に近づくことができるってわけだ。

　当たり前だがアカリネズミモドキなんかとは比べ物にならねえ。一匹でしか行動しねえのが幸いってもんだ。もしこんなのが何匹も何匹もって考えたら…。
「持ってて」
　背負ってたカバンを俺に放ってくる。つい、荷物の中へ放り込んじまった。シューターを取り出そうとしてたから開いてたしな。
「うんどんりゃああああああ！」
　おい、バカ、何勢いだけで突っ込んでんだ、相手をよく見ろ慎重に…って…。
「モナーク！　僕が引き付けてる間に、はやーく！」
　撃ちやすいようにしてくれてる…のか？　あいつが…？
　ここからじゃあいつはただ左右に動き回ってるだけのようにも見える。だが、実際は奴の前足が薙ぎ払ったり突き出されたりしている中、全てをかわしているんだ。奴の前足はリーチもそれほどないし、爪もないから当たっても怖いのはその強い力だけってことになる。当たらなければ問題はねえしな。が、次に奴は牙でもって噛み付いてくるはずだ。
「くそっ」
　シューターの準備はとっくにできてる。シルバー、こいつは別に銀でできているわけじゃねえ。通常使うものより殺傷能力が高くなるように形や材質に特別なものを使ってるってだけのことだ。クレータにはこういうのをこさえる弾丸職人がたくさんいてな、それぞれに秘伝の技を持ってやがってみんな高えんだ。しかし高価なだけあってその威力はハンパじゃねえ。
　特にこれはあいつが精製しやがったからな。期待できるぜ…。
「モナーク！」
「わかってる！」
　おい…今度は…何をする気だ？

　前と同じように仰向けに足から滑り込む。奴の頭の真下、牙が届く範囲内だぞ？　そこへ奴の右前足が振り下ろされる…と、その前足を…左足の甲で蹴り飛ばした？　なんてやり方だよ…でも奴の前足は一本だけじゃねえ。左前足が横から…うまい、身体を回転させて右足で同じ方向へ蹴りつけやがった。まるでコマだ。
　これで奴の前足はしばらく使えねえ。狭い迷宮で大きな体は実は不利だし、今の奴の後ろ足は己の身体を支えているから移動することしかできねえんだからな。とすると奴は牙を使うために頭を下げることになる。今だ。
「撃つぞ！」
「うっしゃ！」
　シューターを押し込む。唸りを上げて飛ぶシルバー。狙いは背中か肩。殺すことは無理だ。相手がでかすぎるからな。ここはやはりかすり傷くらいで追い払うのが得策なん、だ、が…。

　やべえ。

「逃げるぞ！」
　さすがにそれ以上ムチャはできねえと思ってたのか、後ろ向きにここまで跳んできたあいつの、襟首を左手で後ろから掴んで…右手のシューターごと荷物も掴んで、俺は後ろを向いて一気に駆け出した。…当たり所が良くねえ。目のある場所、銀色に光ってる場所へ当てちまった。そうなると、もう、逆上して手がつけられなくなる。急所とも言えるんだが、よほど威力のある弾かシューター使わねえと貫けねえから殺すことはできねえ。ただいたずらに怒らせることになるんだ…まずった。
「モナーク？」
「いいから逃げるぞ？」
「僕なら大丈夫だから…離してよ」
「また突っ込むんだろ？」
「まさか。いくら僕でもそこまでしないよ」
　左手を離すと俺の前へと走って出やがった。…後ろからは片目（のように見える部位）から鮮血を流しているヤミギツネが辺りの石壁やら崩れた石材やらを跳ね散らかしながら追ってくる。ホコリもすげえ。迷宮の動物はめったに大きな声を上げねえんだが、腹の奥に響くほどのでかい声まで上げてる…マジでキレてるな…怖え、怖えぞ、これは…。
「曲がるよ！　そこ！」
　バカ、待て、そっちには…。