TheRootSeller 外伝 4 「そんな彼らに花束を」　[2-18]

　…何のことだ？

　床に突っ伏しちまってるんだ。腕で頭を抱え込んで、足も丸めちまって。まるでおしおきを怖がってる子供みてえだ。何がそんなに怖いってんだ？　ただアデレードって名前が出たくらいじゃねえか。
「ア、ア、アデレード…ああ、アデレード…」
「ちょっと、ハービー？　ねえ、ハービーったら？　どうしちゃったのよ？　ねえ？　ねえってば？」
　ジーナがやつの腕を抱えてる。でもだらり、としちまって全然力が入ってねえ。ついにはやつの腕を「く」の字みたいに曲げて、背中から背負うみたいに引っ張り上げてやがる。そのまま引っ張り上げるよりはこっちの方が楽なのかね。…ともあれ、なんとか椅子に引っ張り上げたと言うか押し上げた、と言うか…。
「おい…こいつ、大丈夫なのか？」
「んもう、ハービーって時々こうなのよ。怖い話とかおまじないとか好きなくせに変な言葉に反応しちゃうのよ。…ね、ハービー？　話してくれないと何が何だか分からないじゃない？　ね？」
　こう優しく（つってもこいつは男なんだがな…）話かけてみても、相手は首を何度も何度も横に振るだけ。椅子の上でも足を抱え込んじまって顔を膝に埋めちまって、まあ…。

「おう。こら。何びびっとんじゃ、ああん？」

　…へ？　おい、ちょっと…そりゃあ…。
　おい、何やってんだ、そんなことしたら、いくらなんでも…って、やりすぎだ、やめろって…！

　………

「はい。ごめんなさい。怖がりすぎでした。ごめんなさい。すみません。もうしません」
「分かればいいのよ、わ・か・れ・ば？　で、何があったのん？　せ・つ・め・いしてみて？」
　…なんだそのネコかぶりキャラっつーかカワイコ作りキャラっつーか…お前が言葉に妙な区切り入れるたんびにびくんびくんしてるぞ、こいつ。いっつもこんなことしてんじゃねえだろうな…？
　そりゃあ…まあ…あんな風に胸倉掴み上げられてビンタされまくったらなあ…よくこんなに普通にしゃべれるもんだ。片手とは言え何度殴ってたんだか。俺が止めなかったらどんな風になってたんだか、分からねえ。しかも音が違うんだ。パン、とかそんなんじゃねえ。ばん、ばん、ばん、って腹に響くような音でな。…こいつに取調べとか、本当はやらせない方がいいんじゃないのか…？　こええよ…。

　右頬だけ（つまりジーナは右手でハービー掴み上げて左手でビンタしてたんだ）やけに腫れあがっているハービー。一応ジーナが鼻血拭いたり湿布薬を貼ってやったりしているが（悪びれる様子は全くねえ）…それでもこええよな、やっぱり。笑顔なのが、さらに。
「で？　何なの？　アデレードって？」
　びくん、と体が跳ね上がる…しかし隣のジーナの笑顔（こええ…）を見て観念したようにうなだれる。
「アデ、アデレードは…350年前にいたサポーター、だった、んだ…」
　ほう…？　すると…あのオヤジの話は…ウソじゃねえってか？

　つっかえつっかえしながらだが、ハービーが話してくれたのはこんな内容だった。
　アデレードは約350年前にここ、ミノマリナ迷宮に潜っていた女性サポーターだったらしい。本当の名前は分からない。迷宮内で本名を名乗らないのは今も昔も同じらしい。それに当時はランク制度がなかったらしく、どれほどのサポーターだったかも分からねえ。だけどその美貌と軽妙なおしゃべりでなかなか人気者だったらしい。
　その頃は今ほど潜ることに厳しくねえし警備隊もいないから、比較的のんきにみんな潜っていた、てな話は俺も聞いたことがある。
　しかし。ある時とある高貴な人を案内した時に…帰ってこなかったらしい。依頼人の貴族っぽいやつはなんとか生還したが明らかに様子が違っていた、と言う。
「髪の色も真っ白になって…目も尋常じゃないほどに見開いて…なかったはずのシワが顔中に刻まれて…」
　何十年も時間が過ぎた老人みたいになってしまった、と。実際には三日も潜っていなかったんだが、と。

　サポーターが不慮の事故なんかで帰って来ない、というのは今でもちょくちょくあることだ。迷宮には危険な場所もたくさんあるしな。でも…。
「それから、迷宮で、時々見かける、という話なんだ…」
　ハービーは大きく、大きくため息をついて、天井を見上げる。
「長い髪をなびかせて、一人で潜っている美人のサポーターを。彼女は、明るく微笑んでこう言うんだ『あら。あなたこの迷宮は初めてなの？　私？　アデレードって言うの。よろしくね』と優しく…でもうかつに口をきいてしまうと…いけない…いけない…名前を口にするだけでも…いけない…」
「な、何がいけないのよ…？」
「13階層目にあるんだ。アデレードのいなくなった部屋、というのが。そこへ連れて行かれる…連れて行かれたら…もう…もう…」
　見上げていた顔を、かくん、と降ろす。床の一点をじっと見つめる。…おいおい。
「帰ってこれなくなるんだ、地上に、二度と」

「ま、まさか。そんなのあるわけ…」
「…ほら。ジーナ。ジーナの後ろに…」