TheRootSeller 外伝 5 「あの山で ‐はるかなる思い‐」[2-1]

　　2: あの山で

「ほおう…ほおおおう…」
　夜鳥の声が再び闇を裂いて響く。

　レナートは軽く舌打ちして行く手を見た。ぐねぐねと曲がりくねっている厄介な山道かと思っていたが、そうでもない。実際はどうだか分からないが、ここから浮かび上がって見えるのは真っ直ぐ前に伸びた、きれいな一本道。木々を切り倒し、切り株を抜き、地面を平らにならしてある。下草も丁寧に払ってあるし、小石一つない。山によくある獣道のように歩きにくい道ではない。大都市の道路でもここまで整備を続けるのは難しいだろう。
　しかし…まるで彼が一歩踏み込んだことが原因だったかのように、空には灰色の雲が押し寄せてきている。森に入るまでは満月が明るく照らしていたというのに。日中ならそれほど気にならないだろう。頭の上に張り出してきている枝もないから、いくら曇っていても明るいはず。

　が、今は夜だ。刻々と形を変えていく、途切れ途切れに頭上にかかってくる雲は決して薄いものではない。満月は思い出したように時折光を投げかけるのが精一杯。それでもはるか上空では風が吹いているのか雲の流れは速い。地上を照らす月光は途切れることはあっても、すぐに照らし直すことができる。だから、闇の底をとぼとぼと歩いているような気分にまではならない。携行用のランプを付ける必要もない。このまま道なりに進んで行けば問題はなさそうだが…。
「ほおう…ほおう…ほおおおおう…！」
　がさっと茂みをかきわけるような音。夜鳥の声がした辺りから聞こえてきて…それきりで声は消えてしまった。

　レナートはちら、とかすかに首を回してそっちを見た。気になることは気になる。
　それでも足は止めない。
　夜鳥の鳴き声はもう聞こえない。この山にいる人間は恐らく彼一人だろう。他に虫の声すら聞こえない。雲の流れは速いのにこちらは風もない。さらりとした空気は、そよ、とも動かない。
　これまでにこういう経験がないわけではない。夜旅の経験もそれなりにある。そのほとんどは今回のように一人旅ばかり、よくあることなのだ。これくらいでいちいちびくついていたらルートセラーなどやっていられない。
　それでも気にならないわけではない。さっさっ…と足早に歩を進める。その足音と背嚢にくっついている様々な器具だけが小さな音を立てている。

　ぽとり、と首筋に何かが落ちてきた。
　軽く身をすくめて反射的に首筋に手を当てる。…何もない。
　…ヒルじゃないんだな。
　場所によっては木の上からヒルが落ちてくることがある。人間の柔らかい部分を狙って雨だれのように落ちてくる。もう少し暖かい地方の密林などでは当たり前のことだ。ぽとり、と来てから首筋に手を当ててみると、自分の血と一緒に丸々と肥えたヒルが手にくっついてくることもよくある。
　が、ここは別に頭の上にまで木の枝が張り出しているわけではない。そんなものが落ちてくるはずはないだろう…第一、こんな乾燥しきった森にヒルがいるわけもない…。
　軽く笑みを唇に張り付かせたまま、レナートは歩きだした。

　…ぽとり。
　今度は頭の上だ。
　雨か、と今度は思った。雲の流れがあまり良くない。天気が変わる前触れにも見える。ついに降ってきたかな…とは思ったが、まだ早い。そんな気もする。…本降りになったら雨具を出さないと…と考えながら歩を進める。
　…が、それだけでしばらくの間は何も降ってこない。

　…ぽとり。
　目の前に何か小さな物が落ちてきた。地面に届く間の白い軌跡まではっきりと見えたような気がする。
　ヒルや雨ではない。
　小さな小さな…何かだ。
　そっとしゃがんで拾ってみる。
　木の実が一つ。どこの山にでもある木の実だ。森の中にでも落ちていたやつだろうか…？　ナルシアにもらった木の実に似ているような気もする。懐から取り出して比べてみると、わずかに違う木の実のようだ。こちらは丸くてずんぐりとしているが、もらった方は若干細長い。しかもへたもない。目の前に落ちてきた方にはかわいらしいフタのようにへたがついているのが分かる。
　たくさん集めてアク抜きをして食べる村もある。そういう品物を扱ったこともある。…それでもたった一つだけではどうしようもない。せめて百個はないと。
　ぽい、とそこらに投げ捨てて、ナルシアにもらった方を懐におさめる。

　数歩歩いてから…気がついた。

　…どこから落ちてきたんだ、あの木の実は。

　頭の上には雲がかかり始めた暗い空。それしかない。少なくとも真上からではない。