TheRootSeller 外伝 5 「あの山で ‐はるかなる思い‐」[2-8]

　…ええと。
　普通の人間ならあり得ない方角である。…やはりこの人も、いや…人ではないのかも知れない。
　…さっきの精霊さん関係かな…。

　そもそも彼が一晩かけて登ってきたこの道は祭事用の山道だ、と聞いている。拝木信仰の村にあって信仰の対象になっているカチネ山…。

　そこまで考えて、ふと、レナートはある疑問に気づいた。今までもどこか引っかかっていたはずなのだが、今になってはっきりと思う。
　…なんで『カチネの御山』なんだ…？

　例えばスタズ村の真ん中にそびえている樹を一本選んで『なんとかの御神木』にしてもいいじゃないか。樹木を信仰しているのだから。それとも、樹木と山は繋がりがあるから山の方を上に見てこっちを神聖なものにしたのか…？
　信仰の対象が複数あるのはよくあることだ。が、それにしてはスタズ村の様子が明らかに『樹』のみを信仰しているように見える。山の途中に石棺があったことと言い、山の精霊を恐れることと言い…実際にはそこまで『樹』にはこだわっていない…？
　こういうものは簡単に一くくりにできるものではない。部外者が勝手な憶測をくっつけていいものでもない。しかし…気にはなる。

　香りがふわりと揺れる。レナートの目の前に立つ。
「ところで…今はお持ちですよね？」
　突然女性が口を開く。たしかにナルシアに似ている、緑がかった黒い瞳で見詰めてくる。
「え？　ああ…はあ」
「お一人とは珍しいですけれども」
「…お一人？」
　なんかそんな話だったな…。
「何人かで登って来られるのが普通なのです。その方が安全ですから」
　…安全、か…。

「それよりも、今はお持ちですよね？　そうでないとここまでは来れない」
　そうか、と…懐の木の実を思い出す。ナルシアにもらったアレだ。
「これ…ですか？」
　手のひらに乗せて、そっと差し出してみる。レナートは座っているから女性は上から覆いかぶさってくるように、それをじっと見つめる。
「……」
「えっと…」
「やはり…火になってしまったのね…ナルシア…」
「はあ…」
　女性はレナートの手のひらの上に乗っているそれを何度か指でつつくとため息をもらす。
「水は…無理だったのね…」

　意味が分からない。火とか水とか、ナルシアが火になった、というのも…何のことなんだか。
「あの、その…一体何のことなんですか…？」
「いえ。大したことではありません」
　そうは言っても涙を拭っているのだが…。
「一つだけ、教えて差し上げます。この木の実は私たちそのもの。木の実は種となって樹木となり、葉を茂らせます。それは人を守り、人に狩られる運命を示すのです…」

　…やはり拝木信仰か…。
　樹木を神聖なもの、としていても完全に触れることを許さないわけではない。それを有効に活用することも信仰のうちとなる。スタズ村で樹木の中に家を作るのもその思想の流れの一つ。石や岩、あるいは山や海といった活用しにくいものよりも樹木の方がそういった活用をしやすくなる。
　そして信仰の対象は身近なものとなる。樹木への居住がそのまま母胎への回帰、という意味合いを持つほどに。
　母なる樹木への…帰還。

「あなたは、もしや…」
「お疲れでしょう？　ここでお休みください。心地よくお休みになれるよう、良い香りをどうぞ」
「いや、あの…」
　女性からの香りが強くなったような…少しずつ少しずつ穏やかな気持ちに…。
「さあ、お休みなさい。ここからあの都へはそんなにかかりません…」
「…ま、まって…」

　レナートはそのまま眠ってしまった。夢を見ているような、そんな気もする。だけど、どんな夢だか分からない。