と、そこへ身なりのいい若い男が姿を見せる。それほど背は高くないし、大柄でもない。エーセストよりも年下にも見えるが、こういう村にはあまり似つかわしくないような雰囲気。中央都市セルシアスのビジネス街辺りで普通に事務を執っている兄ちゃん、という印象だ。
「せんせえ、客だぁ」
「ああ…ご案内ありがとうございます、アレクサンドロさん」
この農夫はアレクサンドロと言う名らしい。一瞬、フォロス老人が何かに反応しかけたが、エーセストはその腕の力を緩めない。そんな二人の様子に、少し戸惑った表情を浮かべるが…軽く笑みなおしてからこちらを向く。
「何かご用…ですか？」
「ええと、魔法都市ベンザウリ統治長官からの依頼…と言えば分かるかな？ 名前はエーセスト・バウア。こっちは従者のアーケロン」
「ぷはあっ！ それがしの名は！」
頭の上とあごの下に添えられていた手を剛力でもって払いのけ、その口を開く。が…
「ああ…！」
しかし『せんせえ』さんはそのまま玄関から飛び出してくると、がしっとエーセストの手を握り締める。無論のことフォロス老人には目もくれていない。
「やっと…やっと、通じたのですね…良かった…」
涙でも流しそうな勢いだ。
中に通される。木目も柔らかい印象を受ける、この調度品の数々はほとんどがこの土地で買ったものだと言う。値段が中央とは比べ物にならないくらい安いらしい。だから中央から月一で送られてくる給料（選任の現金輸送官が直接持ってくる）のうち、使う分はほとんどないのだとか。うらやましい限りではある。最近はどこでも物価の上昇に歯止めが利かなくなってきている。中央としてもあんまりそういう『差』は付けたくないのだが、手の打ちようがないというのが現状だ。商人たちに援助してみたり、特に産業が停滞しているような国には無償援助などを行っているのだが決定打にはならない。
ジェイ・シームスと名乗った彼は、本来ならここランスミット国で中央派遣の統治長官、という立場になるらしい。
「いや、でも、いきなり、というのは難しいですし」
中央から赴任して来た人間と現地の人間がもめることはよくある。ヘタをすると人命にもかかわってくるし、その国の内情も不安定になってしまう。そうなると派遣されてきた意味がなくなってしまう。
「だからまずこの村で村会議員に立候補したんです」
「立候補？ じゃあ…ここはもう選挙もやってるんだ？」
公平な選挙の実施、というのも派遣されてきた長官の仕事ではある。
「はい。ここには五つの村があるのですが…鎖国時代以前から今に続く『長老衆』という各村の代表を集めた合議システムがありまして、各村から代表を公平な選挙で選んでいたんですよ。それも、中央ともほとんど変わらない形式の選挙です。だから、皆さん仕組みを完璧に覚えていらして楽でした」
新たに統治長官が派遣されるような土地には独裁的な風土が強く残っているケースも多い。選挙でちんたら選ぶよりも、有力者の紹介だとかその血縁の者だとかをトップに据えた方が分かりやすくてやりやすいし、スムーズに事が運ぶ。それに、そういう土地では苦心して選挙したって結局は地元の有力者が当選、なんてこともよくある。
「でもそれじゃあその長老衆と村会って二つあってややこしくなちまうんじゃないのか？ いくら村会が村ごとに活動する、って言っても」
「それもありますけど…いきなりは無理でしょうから、しばらくはお互いに協力し合う、という形にしたんですよ。村会で村ごとの意見を汲んで、長老衆にはその意見を国家レベルから検討してもらう。たしかにあんまりややこしくしたくはないので、将来的にはどっちかに絞るか統合したいところなんですが」
…本来なら長老衆よりも村会を強引に選んでしまうところ、なのだろうが…何か別の名称でも用意して一つにまとめる、というのもたしかに一つの案ではある。この辺はたしかにあまり強引にやるのは良いこととは言えない。
「そう言えば…」
統治長官ともなれば地位も高い。結構な数、部下がついて回るはずである。
「人、少ないな…」
見回してみても部下はおろか召使いすら見当たらない。そもそもそんなに人数を収容できるような家でもない。これほど質素な統治長官宅というのはエーセストも見たことがない。
「いや…みんなにも立候補してもらいました。もちろんこことは別の村で、ですが」
どうも、一緒に選任されてきた部下や役人たちも全部村会議員に立候補させてしまったらしい。中央派遣の役人が現地の村会議員になってはいけない…という決まりはない。ただ、首長クラスになってはいけない、村会に関係者が総数の三分の一以上いてはいけない…という決まりがあるだけだ。だから、各村にも少人数なら立候補もできる。
ランスミット国にある五つの村。これらは基本的に五つの部族が大元になってこの国が造られたことによるものだそうだが、『牛の頭』『牛の右脚』『牛の右手』など牛にちなんだものばかり。その部族の古い名前がそのまま村の名前になっている。ちなみに彼らが今いるのは『牛の頭』族が拓いたとされている『牛の頭』村だ。この部族が最も勢力が大きかったらしい。
それほど人口の多い国家でもない。だから全部の村をまとめて一つにしてしまえばいいのではないか、とか思うのだが。
「でも、いきなりは難しいですから」
にこやかな笑みでこう言われてしまうと…理解はできなくても納得はできそうな気になってしまう。
はっきりと出た木目も美しく磨き上げられたテーブル。そこへシームス自らが淹れてくれた茶が並ぶ。それを一息でがふっと飲み干して、フォロス老人が口を開く。
「ところでシームス殿。我らがここへ来たのは他でもありませぬ。牛の頭の人外が暴れ回っておる、という依頼を受けたゆえ。さて、いかなる凶暴な怪物でございますかな？」
「そうそう、それなんですよ。ここでは麦を始めとしていくつかの農産物や、大河からの魚介類を採ることができます。もちろん租税という形で長老衆管理下の執政府の方にも納めてもらっているのですが…」
