「そうだ。あの人ぁ、すごい人だねえ。別にたいしたことはねえ、いつものことだ、って言ってもなんとかしましょう、いや、して見せますってね。もう村のあちこちを飛び回ってさ。やれあっちで木が折れただの、こっちで用水があふれただの。そういうの全部きちーんと書き止めてさ。そいから、どうにかして元に戻しましょう…て、自分からクワ、持ってな」
アレクサンドロも何度も同じようにうなずいている。
「んだ、んだ。普通『そんかいぎいん』になった人なんてのは何もやんねえ人たちだって決まってるだ。でもせんせえは違う。ああやって自分の体、粉にして動いてくれるもんな。だから、長老も認めただ」
「認めたって…何を？」
「あの人が『ちょうかん』にまでなることだあな。今までだったらどんな人が来ても認めやせんかっただろうなあ…いくら中央から来たなんたらだ、つってもな」
これは彼の慎重さにもよるものだろうが、恐らくシームス自身は気づいていないだろう。作戦でもなんでもなく、彼の非現実的なまでに無欲な実直さから来ていることなのである。
他にもアレクサンドロの案内で何人かに聞いて回ってみた、のだが…。
どうにも…今ひとつ、事情が呑み込めない。村人は昔から『牛の頭』による被害のことを知っていたらしい。しかしそれを「被害」として認めていないのだ。仕方ない、とあきらめきっている雰囲気でもない。
なんと言うか…「あは。またやっちゃった、てへ」とかそんな明るい調子なのだ。風物詩みたいなものになっていて慣れきってしまっているのだろうか…？
たしかに畑に大穴が開いてしまったり建物が壊されたりと「被害」は出ている。それは間違いない。が…その「被害」は被害になっていなかった…ということだろうか。中央へも出ることなくこの土地だけで内々に処理されてきた…ということだろうか。
話を聞けば聞くほどに、どうにも理解できない、という顔になってしまう二人。
「他んとこもおんなしだあな。どんだけ話、聞いてもよ」
その後はとりあえずシームスの家に戻って資料なんぞを探ってみたりする。それでもよく分からない。
それでも夕方頃にアレクサンドロが嬉しそうにやってきて告げてくる。あのご先祖様と守り神様に感謝を捧げる『感謝祭』が今夜行われることになったらしい。こういう風に急に決まるものなのだろうか、準備とかその辺は大丈夫なのだろうか…と余計な心配までしてしまう。
「あんたらもどうだね？ あんたらなら大丈夫っぽいでな。長老もぜひって言ってるだ」
長老とは「牛の頭」村選出の長老のことだろう。そう言われて参加…ではない、のぞいてみる気になった。もちろん化け物のことは気にはなるのだが…。
「ああ、残念です。私、今から出かけないといけないんですよ」
と、無念そうに告げるシームス。すでに身支度を整えて大きな荷物を背負っている。
「『牛の右脚』村で何かあったようなんです。やはり早春は気が抜けません」
アレクサンドロが来る少し前に、どこかから使いの男がやって来て何か書状のようなものを渡していたのをエーセストも見ている。同時に表情が曇ったのも。シームスは本来がここの統治長官だ。こうやって急に各地へ飛ばないといけない場合もあるだろう。しかしこのまま一人で行くつもりなのだろうか？ やはり統治長官とは思えない身軽さではある。
「ありゃ。せんせえはいけねえだか。ぜひ来て欲しかったけんど」
「私も今回は行けるかな、と思っていたのですが…本当に残念です」
「怪物か？ なんならオレたちも…」
「いえ、まだ確定したわけじゃありません。道の一部が壊れた、とのことですので、まず私が行って確認してきます。もし何かありましたら使いをよこします。その時はお願いします。ですから…感謝祭の方はお願いします。私の代理、ということで」
「そうか…分かった。あいつについて行けばいいわけだな？」
あいつとはもちろんアレクサンドロのことだ。そっか、分かっただ、とそれでもやはり嬉しそうに帰って行った。
「ぜひぜひ楽しんで来てください。…あ、どういうお祭りだったか、後で教えて頂けませんか？ いつも忙しく飛び回ってる間に終わってしまうものなので…」
村へ着いた頃には夜になっている。
野趣あふれる料理が並び、酒らしいものも入っている樽がいくつも並んでいる。シームスの家がある村の中心部ではなく、ここは畑のある農村部の広場だ。農閑期で家にこもっていた農夫たちも大勢出てきている。皆が皆、やはり嬉しそうな顔である。お祭りとは元来そういうものだったか…と再認識させられるような笑顔だ。閉じ込めてきた情熱と願望を爆発させて楽しむ。そこには中央や大都市で見られるような作られた祭りには見ることのできない情景がある。意味もなく血が沸き立つような…原始的回帰、とでも言うような感覚。
準備などは滞りなく進んでいたようだ。晴れわたった群青色の夜空に沈み込んでしまいそうな満月。その柔らかくも怪しい光はあまねく地上へと降り注いでいる。
と、ここまではまだまともだったのだが…。
「…これが…感謝祭、か…？」
なぜ守り神様が巨大な堤防を造れたのか。
なぜ皆が金槌を持っているのか。
そのわけは分かった。長老、と呼ばれる小さな老人がおごそかに「祭りの始まりじゃ」と宣言した直後、村人が皆、手にしていた金槌を放り投げたのだ。…そしてエーセストは息を呑んだ。フォロス老人も同じ思いだっただろう。
…おいおいおいおい。
村人が歓喜の叫びをあげる。そして村人たちは皆、牛の頭を持つ化け物に変わってしまったのだ。
