「さて…皆の衆、そろそろ始めるとしようかのう」
おおっす、という野太い声があちこちから上がる。牛の頭の化け物どもが四方に散らばる。何をするのか…と言えば農閑期に入って大分経っている畑の中へのしのしと歩いて行く。それぞれが手に手にクワやスキを持って耕し始める。力は有り余っている連中だ。自分の畑もそうなのだろうが、村中の畑を耕していく。あるいはあらかじめ耕す範囲が決まっていたのかも知れない。今はある程度でもやっておいて、後でまた…ということなのかも知れない。
が、その様子はどう見ても荒らしているようにしか見えない。身の丈なんか見上げるしかない、どこからどう見ても怪物の集団が暴れ回ってるようにしか見えないのだ。興奮したのか畑とは関係ない場所まで耕している（つまり破壊活動中）者が続出している。ヤバそうなほど奇怪な笑い声を上げながら走り回り、転げ回ったりしている。
正直、生きた心地がしないエーセストとフォロス老人。別にこちらに襲いかかってきたりするわけではないのだが、そこはそれ、人間予想もしてなかった光景に出くわすと、まず自分の身の安全から考えてしまう。あれだけ暴れ回ってるのを見れば、命の危険を感じてしまってもおかしくはない。
「…言っておくが、剣抜こうとかするなよ、アルバート」
「いやしかしそれがしの名はアレクサンダにてだがでもそれはその…」
「こいつらは別に怪物じゃねえってことだ。さっきまできちんと人間やってたんだからな」
冷静そうに見えるエーセストだが、まるきり無関心というわけでもない。寒さもまだ肌に残る時期だと言うのに、手のひらにはびっしょりと汗をかいている。彼とてこんな状況でも一応は弱点とされる自分の冷気魔法を使おうという気は…ない。あんなでも元は人間なのだ。しかも普通の、いや、純朴な人間が…ああ、なんか色々ぶっ壊している…けども。
「…ぐぬぬぬ…」
フォロス老人が柄にかけた手を離して…大きくため息を吐く。しかし牛頭の連中を見ると、やはり抜きたくなるらしい。再び手をかけて…それを押しとどめる、をしばらく繰り返していた。気持ちは分からないでもないが、ここは…やはり。
「さあ…宴はこれからぞ！」
再び野太い声が響き渡ったのは夜半過ぎだっただろうか。
「どうです？ 楽しんでますか？」
楽しめるような状況ではないのだが。曖昧にうなずいて見せる二人を見て、豪快に響き渡る笑い声を上げているのは、さっき祭りの開始を告げた長老だ。小さな老人の体に禍々しくも目の光る牛の頭が乗っている。やや全体の毛が白く薄いので、かすかに違和感を感じてしまうが。
…そこらの大木を殴っている者もいる。大木はすぐに悲鳴をあげて倒れてしまった。周りの者はやんややんやと囃し立てる。その力は半端ではない。しかも酒まで出ての大宴会なのだ。酔ってさらに羽目をはずす者も多そうだ。
「驚きましたか。いやあ、心配なさらずに。月の光がある間だけですから。太陽が出ていればこうはなりません」
「…あーいや、その…なんだ」
「おや、さすがだなや」
別のもっと若い牛頭がのそっと現れた。言葉の感じからするとあのアレクサンドロのようだ。しかしぎょろり、と血走った目や、その黒く短い毛に覆われた頭から突き出してねじまがっている角などは…普段の純朴な彼とは到底思えない。
「中央から来た人は大抵気絶しちまうんだけんど。さすがは親分だな。…子分もさすがでねえか」
ばんばん、と背中を叩かれる。痛いとかそういうレベルではない。途中で気づいて「悪い悪い」と苦笑い…牛が苦笑いできるのかどうかは彼らを見れば分かる…して手加減してくれなければ背骨が折れていただろう。
フォロス老人などはもろにくらってしまって顔面から突っ伏してしまっている…。
そして翌朝。生々しい傷跡を残して彼らは人間へと戻って行った。
「…どうしますかのう、バウア殿」
「そーだなー…」
そもそもランスミット国が鎖国をしたのもこの「体質」のせいらしい。長老が代々伝わるとされている秘伝の書を見せてくれたのだ。もちろん、朝になってから、だが。
大河ランスミットの中洲にある、この国で生まれた者同士が結婚すると、その子供は必ずこの体質を得ることになる。月が出ている晩に表へ出ると首から肩から毛が生え始め、やがて角も生えてきて牛の頭となる。その間は本当に牛並みの腕力を誇る。しかし、それだけのこと。他は普通の人間と変わらない。
しかしこんな国民しかいないとなったら…他国からどう見られるか分かったものではない。そのため鎖国に踏み切った。
そんな中、画期的な方法が見つかった。この国の地下である特殊な鉱脈が発見されたのだ。そこから採れた金属を身につけていれば月夜でも変身しないのである。これを見つけたのは大工の息子だった。そこで、彼にあやかってこの国では子供が生まれるとまず金槌を作る。それは自分専用のもので、常に肌身離さず一生持ち歩くよう教育される。もちろんむやみやたらと牛頭になることも許されないよう、厳しくしつけられる。そのため普段は普通に暮らしていけるようになったのだ。
しかしそれでも年に何回か牛の頭になるのを許される時がある。それが感謝祭の夜。ランスミット国独自の暦ではそれは早春になる。そのためまずは儀礼的に畑を耕す。しかし力が有り余っているのでどうしても荒らしているようにしか見えない。そしてその後は宴会に突入する、というわけだ。
が…近年になってその風習も変わりつつある。
例えば外国から来た人も何人か移り住んできている。大河ランスミットを知らない土地の人と結婚すると、牛の頭にならない子供が生まれることもあるそうだ。その子供の子供がどうなるのか、まではもう少し時間が必要だろう。開国に踏み切ってから生まれた子供は、まだ成人してもいないのだから。
