なだれをうつように表情が一気に曇っていく。いや、曇るどころではない。涙すら浮かべそうなほどだ。
「いや、それでな。だから…詳しい報告書、作らないといけないだろ？ だから…」
「分かりました。それでしたら今すぐにでも…」
と、走り出そうとする…。
「いや、待て待て待てってば」
その肩をなんとか掴んでおしとどめる。
「そんなに焦ることないだろ？ 被害はもう出ちまってるんだ。でも特にケガ人が出たとかそういうとこまでは聞いてないんだ。だから、そこまで重いもんでもなさそうなんだよ。急いでも被害が消えるわけでもないだろ？ ある程度情報を集めてもらって、それをあいつの家でじっくり聞いてもいいじゃないか。フットワークが軽いのはいいことなんだが、もう少し悠然と構えていた方が統治長官らしいぜ？」
「すみません…」
「あ。いや…別に責めてるわけじゃ、ないんだ…すまん、ただその、な…」
…ホント、実直だよなあ…。
今度は本当に目に涙までたまってしまっている。こういう性格でよく役人が務まってたもんだ、とか思ってしまう。が、よく考えてみたら務まらなかったからこういうめんどくさいところへ飛ばされたのかも知れない。
「…よいではないですか、シームス殿。バウア殿に従いなされ。その方が効率よく報告書も作れましょうし」
意外な方から助け舟が来た。とっとと回復しているフォロス老人が、シームスの肩に、ぽん、と手を置く。
「たまには皆とゆるりと語らうのもよろしいではないですかな？ 大分お疲れの様子にございますし、な」
「でも…私、皆様の家に行ったことがないんですよ…」
「…？」
軽く目をこすってから話したところによると、彼は赴任してきてから地元の民の家に入ったことがほとんどないのだ、と言う。ランスミット国に来た当初、家が整うまでの数日間だけ世話になった長老の家と…被害を確認しに立ち入った時だけが家に入った時だとか。世話をしてくれた長老の家ではさすがに別だったが、調査の時にでも水一杯口にしていない。会合であるとか、式典のような時は食べたり飲んだりするが、誰かの家で個人的に食事をご馳走になることもないのだという。
「そういうのは接待に当たってしまうかと思いまして」
たしかに役人は基本的に住民と距離を置くことになっている。特定の人物から饗応を受けたりしたら公平を欠く、ということでそれに関する公的な決まりもあるにはある。が…それはあくまで役人としての『公』と『私』を明確にせよ、という決まりごとであって、絶対にやってはいけないというものではない。ましてや地元の民との繋がりを無視してまで徹底するものではない。
…もちろん、そこまでがちがちに考えた方がいい役人もいるにはいるのだが…。
ははは、と乾いた笑い声を上げるエーセスト。
「そりゃ考えすぎだよ。けじめさえきっちり付けときゃいいって。友達の家に行くのに役人も何もねーだろ」
「そうでありましょうぞ。公私の区別さえあれば問題ありせぬ。それにワシらも同道します故に」
「そうそう、そうだぜ。あいつにはオレから話しておくから…そうだな、夕食前に、ということでそれくらいに出かけよう。うん、そうしよう」
「…分かりました。ありがとうございます。…すみません、私なんかに気を使って頂いて…」
「いや何、気にするな。じゃあ早速あいつに…誰か、お使いとか頼めそうなのいねーか？ アポカリプス？」
「御意。おお、門の外に童どもがおりますぞ。どれ、駄賃でも与えて…」
門の外で無邪気に遊んでいる子供たちに近づくフォロス老人。が、ふと立ち止まって…。
「それがしの名はアレクサンダにございますっ！」
大きな声で逃げ散ってしまった子供たちをなんとか集めてアレクサンドロへのお使いを頼んで…シームスには家の中に戻ってもらった。それから人に見られないよう、裏庭へと回り込んできた二人。
「…何か策があるのでございますな、バウア殿」
得心、という顔のフォロス老人。
「うん。やっぱり一度俺が魔法を見せないと意味がないだろう。そこで、あいつにもちょっと協力してもらってだな…お、来た来た」
「なんだ、こっちにいただか。表に回るとこだっただよ。で、何かいい考えでも出てきただか？」
はあはあと息をはずませている。ここまで急いで走って来たらしい。
「ああ。まずはあんたでもいいんだが…誰かに一度牛頭になってもらう」
「げ。そりゃあ…まずいだよ。せんせえに見られでもしたら…」
「変わるところさえ見られなければ大丈夫だろ？ そこで俺が牛頭に変わった奴を魔法でやっつける。元々俺はそのためにここに来たんだからな」
「そりゃあ、そうだども…」
「もちろん手加減はするさ。誓ってもいい、ケガなんかさせない。そしたら適当なところでそいつには倒れたふりでもしてもらって、その場から離れる。それでおしまいさ。牛頭は退治されましたってことで全部オッケーてなもんさ」
