「何が、入っているのでございます？ かように差出人もないような面妖な書状は受け取ったことがございませぬゆえ年がいもなく取り乱してしまいましたが」
…まあ、フォロス老人はそういう広告配達物すら受け取ったことがないのだろう。いや、あっても覚えてないのだろう。
エーセストはちらりと文面を読んでからそれをフォロス老人にも示してやる。
「…これは…」
さすがに息を呑む。そりゃそうだろう。便箋一枚の真ん中には力強く見事な筆跡でこう書かれてあったのだから。
『すぐに中央都市に来るべし。そこで君は変わるだろう。』
「マルガレーテお嬢様のいたずらだな、こりゃ。誰かに代筆までしてもらうとは念の入ったことだよなあ」
軽く笑い飛ばしたエーセスト。ファンブルドアの報酬を確かめてから丁寧に金庫へとしまう。
「…アンダルシア？」
「うーむ、バウア殿。マルガレーテ・ド・ザウス様とはバウア殿のはとこ殿にございますな？」
「そうだ」
フォロス老人が自分の名前の間違いに触れない時は、大抵何かを深く考えている時である。逆に言えば普段はそれほど深くは考えていない、ということにもなる。
たしかに冒頭の分かりにくい手紙を出してきたのはエーセストの母・マイアのいとこの子であるマルガレーテ・ド・ザウスである。この一家は彼女の上に姉がいる四人家族なのだが、姉妹の間の年が離れていてかなり甘やかされて育っている。しかも背も低く童顔で趣味も素行も相当に幼い。そのせいか年齢的にはエーセストよりもかなり上になるのに年下に見られることも多い。
そのザウスの家は魔法選任官の中でもちょっと知られた家でもある。普通の選任官は例えば火炎系や大地系とか、エーセストの場合は冷気系など、得意な分野は一般人でもイメージしやすい形で決まっていることが多い。しかし、ザウス出身の選任官はほとんどがそういうのとはちょっと、いや大分違っている。例えば『あらゆる病気を治すことができるがカエル限定』とか。あるいは『片足を上げている限り高速で移動可能（つまり走れないので自身は移動できない）』とか…他ではまず見ることのできない技能を持っている人間ばかりなのだ。なお、そんな技能が何かの役に立つのかというのはまた別の問題である。
なぜそうなってしまったのか。研究者の間でも色々な説が出ているが、やっぱり血なんじゃないだろうか…というのが定説にはなっている。たしかにザウス以外ではこういう魔法を使える家系はほとんどないからだ。何せ冷気系や火炎系と同じように『ザウス系』という呼称すら一部では定着しつつあるくらいではある。
手紙をよこしてきたマルガレーテだって例外ではない。『何もないところから無数の花を咲かせることができるが効果は数十秒しか続かない』という技能で、しかもこれを使うと彼女は即座に眠ってしまうというオマケもついている。
「それがどうかしたのか？」
「…ザウス様の手紙はそれがしも拝見したことがございます。見事なまでの暗号文でございました」
「………」
否定はしない。…暗号ではないとは思うのだが、否定はしない。
「しかしこの文面にはただ一文。しかも暗号にもなっておりませぬ」
たしかに平易な文章である。言われてもう一度便箋を手にしてみるエーセスト。
「…紙が、違うな」
「ほほう？」
「技研は事務用品をいつも同じ業者から仕入れているからな。紙質にそれほど大きな変化は起きないはずなんだが…」
マルガレーテ本人から届いたあの手紙を取り出してみる。…やはり若干の違いはある。手触りとか…見た目とか。選任官やっていると技研からの書状が届くこともままある。何回も触れているのでその違いにも気づきやすい、というものではある。
「でもたまたま別の便箋使ったのかも知れんな。そこらで買った別のやつとか」
「それとしましても…なぜ局留めで送って来たのでございましょうや？ いつもの通り戸別の配達物として送ればよいではありませぬか？」
冒頭の手紙もそうだが、彼女にはいつも『自宅配達希望』と朱字で記して手紙を送ってくるクセがある。料金のことは気にしないのか、ただ『自宅配達希望』と書いてみたいだけなのか、その辺は分からない。
「配達先でも間違ったか？」
その可能性もある。
「ううむ。しかし…しかし、ですぞバウア殿。これにはしっかりと宛名が記されてあるではありませんか」
「そうだな…」
やはり見事な筆跡で書かれてある自分の名前と住所。が、こんな筆跡は記憶にない。
