「そろそろ門が見えますな」
フォロス老人がどこかホッとした様子でつぶやいたのはもう日が昇ってしばらくした頃だろうか。時間的にはまだまだ朝。そして『門』とはセルシアスの入り口を示すもの。つまりはここからセルシアスですよー…という標識にもなっているが、ごくごく普通に石を積み上げてあるだけの代物ではある。あまりにも大きくなり過ぎてしまったセルシアスの連中が何かの理由で拵えたものだ、と言うがその理由は知られていない。
しかも門をくぐったからと言っていきなり景色が一変するわけでもない。ただ、これまでとは違って若干ではあるのだが家や建物が増えてくる、というだけのことである。それにしたってまだまだそんなセルシアスの深いところまでは入っていないのだ。
門のそばにも屋台がいくつか出ている。別にペンネの大木で何か食べても良かったのだが…なんとなく気が急いてしまってここまで来てしまった。
「おお、バウア殿、ご覧くだされ。あれは揚げ菓子にございますぞ。なんと良き香りにございましょうや…おほほ、あれなるはふかし芋ではございませぬか。何とも心地よい湯気でございますなあ…」
つまりは朝何も食べずにここまで来ているのである。あれだけよく食べるフォロス老人が期待に満ち満ちた目であれこれ見回すのも無理はないだろう。…エーセストだって腹が減ってないわけではない。昨日食べたのはひき肉はさんだパンと焼いた魚だけなのである（フォロス老人はさらにぶどう酒飲んでるが）。さすがに今日は大目に食べておかないとこれから持たないだろう。まだまだ先は長いのである。
「何か食っとくか…何がいい？」
「それがしにお任せくださいますか？」
目をキラキラさせてくるフォロス老人。正直、似合わない。
「あ。まあ…その…なんだ。あんまり高くないとこな」
「お任せくだされい！ うおおおおおおおおおおお！」
ものすごい勢いで駆け出す。しかし言っちゃなんだが門のそばの屋台の数、というのはペンネの大木やベンザウリ近くに比べるとかなり少ない方なのである。これからさらにセルシアスへ向かうとなると立派に店を構えた食堂やらレストランやらも増えてくる。そうなったらこんな屋台なんぞでは太刀打ちできなくなる。だからこういうのが多いのは街道のしるしでもあるのだが…。
果たしてフォロス老人はすぐに戻って来た。客の数だってそんなにいないのである。まだ朝早いのだし。だからそこらの屋台中からの好奇の視線を浴びつつ選んできた屋台に立ち寄ることになったのだが…。
『アドニスの店』と小さいがしっかりとした看板がかかっている。
屋台にしては作りが立派である。いや、立派というのは当たっていないかも知れない。これは屋台ではなく小屋だからである。しっかりと柱も地面に打ち込んであって壁もドアもきちんとある。そもそも屋台にこんな立派な看板は必要ないだろう。
セルシアスに限らず都市内というのは土地の所有に関してはきっちりしているところが多い。これが街道上なら誰のモノでもないので屋台程度ならとがめられたりはしないのだが…ここは見た目は町の外れっぽいが立派にセルシアス内なのである。こんなところに小屋なんか建ててもいいのだろうか？
…そう言えば前に来た時はこんな小屋なかったよなあ…。
選任官という職種上、セルシアスには何度か足を運んでいるのである。ルートは大抵は今回と同じこれからジャヌアへと向かうルートなのだが…前に来たのはいつだったっけ？ と、ふと考えてみる。最近は来てないのは確かだ。去年も行かなかったのも覚えている。じゃあ、一番最近なのは何年前のことだったっけか。ええと、ええと…？ いかんなあ、意外と覚えてないもんだなあ…大丈夫か、俺の記憶力？
「いらっしゃいませ」
そんなエーセストの心配をよそに、こういう商売の割には結構若い亭主は愛想よく二人を迎えてくれる。時間も時間なので客は二人だけ。聞けば定食屋のような商売をしていると言う。メニューにはパンケーキやパスタの類と言った食べ甲斐のありそうなものまで並んでいる。
「…安いな」
ちょっと不安になるくらいの値段。こんなのでやっていけるのだろうか…余計な心配までしてしまう。
「大丈夫なんですよ。ここは私の土地ですし、仕入先も安く仕入れるものばかりなのです。大変なのはここまで運んでくることでしょうか…でも妻がそういった運搬を全て引き受けてくれているので、私はこうやって調理に専念できるのです」
そう言えば他の調理人も見当たらない。一人で厨房を切り盛りしているのだろう。奥さんが食材調達専門なのだろうか。
運ばれてきたのは蜂蜜たっぷりのパンケーキときのこやミートソースが香ばしいスパゲティ。…こう記すとなんだかお洒落なレストランでのお食事、といったイメージだがこれは大分違う。パンケーキなぞは厚さが親指ほどもあるのが五枚重なっているし、スパゲティに至っては皿ではなくボウルのような深い食器に盛られていたりする。もちろん、注文したのはフォロス老人だが…これを一人で食うにはかなり骨が折れそうではある。
…それでも食べきってしまうのがフォロス老人なのだが。
エーセストはパンケーキを食べてみる。美味い。基本、こういう粉ものの味付けというのはどこでもそれほど差のないものだったりする。そのため焼き方や材料の配合が大きなカギとなる。そういった技能は例えば魔法のようなものでもいいのだが…これは主人の修行の賜物なのかも知れない。無論選任官でプロの料理人というのも結構いるが、その場合は訓練校の修了書を目立つ位置に掲示するように義務付けられているから、そういったものの見当たらないこの店には選任官がいない、つまりは魔法は使っていないことになるのである。
「うむ。これは非常に美味でございますな」
フォロス老人も満足げにスパゲティを胃の中へと納めつつある。すでに半分以上は消えてしまっている。エーセストに分けてやるとかそういうつもりは全くなさそうである。
「…お味はいかがでしょうか…？」
まだ他に客はいない。さっきの若い主人が食後の茶をもってやって来た。
