「いや、とても美味かった…これだったらもっと中の方で店出してもいけるんじゃないのか？」
「左様ですな。それがしのこれまで食べたスパゲッティの中でも一位二位を争う味でしたぞ。…ううむ、満足…」
「それは光栄です…」
二人の茶碗へと茶を注いでいく。
「真剣な話、もっと中の方…中央区とは言わんがオレイアやカルテッサなんかで店出すつもりはないのか？」
「はは…実はそれはできないのですよ。でも私たちはここで満足しております。何しろ祝祭のおかげなのですから」
祝祭…。
「てことは…もしかしたらアレか、願い事でこの店を…？」
「はい。セルシアスの祝祭は去年はありませんでした。その前…一昨年の祝祭の時に当選いたしましてね。当時私は妻とここで小さな屋台をやっていたのです。そして…まあ、ご存知の通り祝祭の『願い事かなえます』は…お祭りの余興ではあるのですが」
「まあな。でも当たったって…すごいじゃないか」
「ええ。しかしもうちょっと本気で書いておけば良かったかも、とは思いますよ。何せ『この場所で店を繁盛させてください』と書いてしまったのですから。あの頃は場所取りも熾烈でしてね。やっと取れたこの場所を手放したくはなかったのです。それから元々の所有者から格安でこの土地を譲って頂けて、それにとても良い仕入先も見つかり、妻が運搬して私が調理、と分担も決まってからはこのように繁盛するようになったのですが…『この場所』という言葉がある限りここから離れるわけにはいきませんねえ…」
「書き直しはできねえしな」
「はい。祝祭の願い事がかなうのは一生に一度だけ。辞退もできますけど…その場合でも二度とかなわなくなるのですから」
「そう言えば繰り上げ当選なんてのもあったけな…」
「おや、よくご存知で。過去にも何回かあったと聞いてますよ」
そこへ三人ほどの客が入ってくる。常連なのか顔見知りなのか、主人は軽く会釈をしてから奥へと向かう。
「まあ、こんな状態でも私は満足なのですがね。こうやってお客さんもたくさん来てくれますし、繁盛しているのですから。そこまで望むのは欲張りというものでしょう」
「そうか…祝祭の『願い事かなえます』か…」
それからしばらくしてから店を出てさらに奥へと歩き始めた二人。辺りはもうたくさんの人が行き交う、普段の街道筋の情景になりつつある。これからあの食堂も忙しくなっていくのだろう。
「祝祭にございますか…やはり主催は王族の方々なのでありましょうな」
「なんだ、セルシアスの祝祭に行ったことないのか？」
「それがしはありませぬ。普通にベンザウリに住まいおる者なら、まず、目にしたことはないでありましょう。…ベンザウリ生誕祭というのでもあれば別でありましょうが」
たしかにそういうものはなさそうである。ベンザウリには。
「そりゃそうだな。でも俺は…行ったことがある」
朝の喧騒、とまではいかないが辺りには少しずつ人が増え始めている。
「ほほう」
「結構前のことだがな。…訓練校の頃だったか…兄貴に連れられて、な」
「レンブルグ殿にございますか」
「いや。ドルクの方だ。今は軍人やってるドルク・バウアだ。会ったことあるだろ？」
しばし考えるフォロス老人。
「おお。あのやけに細っこい方ですな？ 手足などまるで枯れ枝のような方にござりましょう」
「…誰の話だ。レンブルグなら、まあ、たしかにちょっとは細い方だけどドルクは筋骨隆々の大男だぞ。あの頃もそうだったが今でも毎日のトレーニングを欠かしてねえって話だ。アーサー、お前だってかなうかどうか分からんぞ？」
「何をおっしゃいます、それがしの名はアレクサンダ、アレクサンダ・フォロスと言えばその剛には並ぶ者なしとまで言われたほどにございます。必ずや互角以上の勝負をして見せましょうぞ」
「いや、別に戦え、とかそーいうことは言ってねーんだが」
それにそういうことはまずできんだろう、と素直に思う。すでに結構な地位にあるはずなのだ。が…どんな階級でどんなことしてるか、というのもあんまりよくは知らないのである。
努力だけで最高の魔法選任官となった異色の存在でもある父。そのシーカー・バウアの道統を正統に継いだ、とされているのは長兄のレンブルグ・バウアである。彼は中央政府からの重要な依頼が多数舞い込むほどの売れっ子魔法選任官である。エーセストは三男になるのだがそこまでの能力も実績もない。
一方次男であるドルク・バウアはまた違った道を歩むことになった。魔法を捨て、体を鍛えぬく毎日を送るようになったのだ。…それが父への反発だったのかどうかは…そこまではエーセストにも分からない。何せレンブルグとはちょうど十歳、ドルクとも五歳くらい年の離れている兄弟だからだ。レンブルグとドルクの間にはマーシャという姉がいて、ドルクとエーセストの間にもサラとセラという双子の姉がいる。エーセストの下にだってミネルバという妹とオーギュストという弟もいる。この二人は年子で、今はまだ学生なのである。…本当ならレンブルグの上にはアイシャという姉がいることになっている。しかしエーセストが幼い頃に死んでしまったので彼はほとんど覚えていない。
そういう大家族なのだが年が離れすぎていて、日常的に話したりすることもあまりなかったりする。
例えばレンブルグはもう結婚もしていて子供もいる。そうなると自分の家を持っていて、実家に戻ってくるのは何か行事の時だけ…とかそういうものだ。長女のマーシャもすでに結婚して家を出ているし、次兄のドルクも婚約者がいるし軍に入った頃から宿舎住まいでめったに帰ってこない。サラとセラだってそういう話はまだないが、年齢的にあり得ない話ではない。
逆にミネルバとオーギュストは毎日学校に通っているような年でもある。話が合わないのは仕方ないことなのだろう。
