そういう場合は公共の案内所で尋ねるのが一番である。こんなジャヌアだがそういう施設だってあるにはある。
ただし場所は分かりにくいことこの上ない。元々ごみごみしてて細い路地もうねうねと迷路のようになっているジャヌア。その中でも街道からだと肉屋の裏から人一人やっと通れるくらいの裏道へ入る。そして目の前の半壊していて文字通り向かって右半分だけは人が住んでいる二階建てのボロ共同住宅の前を右へ。次にさびれて水も出ない井戸を右手に見ながら左へ。次に土台だけが取り残されているお城のような豪邸跡があるから今度は右へ…とそんなことを十数回も続けないといけない。その苦行の果てに目の前に『案内所』とだけ書き殴ってあるそっけない看板が出ていれば辿り着いたことになる。なんでこんな場所にあるか、と言えばそれはその時空いていて役所でも使えそうな土地がここしかなかったからである。角地に面し、両隣はここでは珍しい花屋と喫茶店という取り合わせ。
ただ…変動の多い土地なので立地条件がそのまま永遠に続く、という可能性は限りなく低い。
しかしエーセストはなぜかこの『案内所』の看板と縁がある。選任官になって初めてジャヌアに足を踏み入れた時もそうだったのだが、適当に歩いてもここへぶつかってしまうようになっている。だからこんな場所でも今まで宿屋でトラブったことはない。今回も何の迷いもなくすでに馴染みとなってしまっている看板の下に到着することができた。なお、花屋と喫茶店は干物屋と小間物屋に変わっていたりする。次に来る時はまた違った店が出ているのだろう。
粗末な割に頑丈そうな鉄のドア。開けてみると。
「ごめん。ちょっと聞きたいのだが…って…なんであんたがここにいるんだ？」
「おや、エーセストさんかい。お久しぶり。あの時は世話になったねえ…」
案内所の受付にいたのはやたら恰幅のいい中年の女性。指輪や腕輪やきんぴかのネックレスが動作と共に光り輝く。実はこの人が探していたフロリスなのである。
「一体いかがいたしたのやら…」
フォロス老人も珍しく呆れ顔である。案内所だから宿屋に縁がある、と言ってもこんなところに座っているのはちょっと意外である。
「…潰されちまったのさ、宿屋は。まあ、もう何十年もやってたからね、そろそろ潮時かな、って思ってたんだけどさ」
「潰れた…」
「ううん、潰されたのさ。つてがあったから臨時雇いってことでここでちょっとの間だけ案内係やってるんだけどね」
他に何人か旅人らしい利用者がいるにはいる。しかし案内係も彼女一人ではないし、それほど忙しいわけもないようだ。簡単な応接セットのある一角に案内される。木のテーブルを長椅子二つがはさむ格好。当然だがテーブルはツヤも何もあったもんではないし、長椅子も皮だったのだろうが、白い亀裂が網の目のごとく無数に入っていて皮独特の光沢も何もない。それでも座れるのだから問題はないのだろう。
「あ」
「どうかしたのかい？」
「…なんでもない。気にするな」
それほど勢いよく腰を下ろしたつもりはなかったのだが底板が痛んでいたのかも知れない。座ってしまうとそこから一段下まで腰が落ちてしまうのである。ちょっと腰を浮かして落ち着ける場所を探してみる。…それほど労せずになんとか尻の先がようやく引っかかる場所を発見。ほっと胸をなでおろす。…正面から見るとやや腰を斜めにした格好。なんだかちょっとイケナイ姿勢のような気もするが、誰も気にしてはいないようだ。
「で？ どうしたんだ？ 一体？」
エーセストの記憶が正しいならフロリスの宿屋は老舗中の老舗である。何十年も続いている、というのはジャヌアでも相当に珍しい部類に入るから固定客も多かったのではないだろうか。
「どうもこうも。有体に言えば区画整理ってやつさね。全く、あれだけ大がかりなのは久しぶりだよ」
懐から紙巻のタバコを取り出して…一服。
…ふうん…？
据え付けてある大きな陶製の灰皿をちょっと引き寄せてちょろっと灰を落とす。人目につくカウンターの中でタバコ吸うわけにもいかない、とかそんなとこなのだろうか。…タバコ吸いたくなったから二人をここへ誘ったのかも知れない。
「区画整理…何でござろうか…」
明らかに本気で言ってるフォロス老人。実はベンザウリ在住の人間はここ数十年ほど『区画整理』されたことがない。もちろん家の建て替えだとか道路の修復だとか、そういう細かい工事はよく行なわれる。しかしベンザウリは魔法機能移転の際に綿密な都市計画のもとに構築が進められていった都市である。特に町の中心部は大掛かりな『区画整理』を行なうまでもないように造られてある。ただし、計画当初は考えてもいなかった想定外の発展…つまりは発展しすぎて町の境界線を外れてしまった家や道路…までは考えていない。だから町の周辺部へ行けばそういった『区画整理』は比較的よく行なわれているものなのではあるが。
「ごちゃごちゃしてる辺りをだな、一気にならして作り直しちまうこった。道路を広くしたり、なんか役に立つ建物作るとか、色々事情はあるけどな」
「ほほお、左様でございますか」
エーセストは知っていたようだ。フォロス老人はベンザウリ生まれのベンザウリ育ちだが、彼は違うからかも知れない。
ちなみに土建業界は魔法選任官の中でも依頼数の多い業界として知られている。物体移動系の魔法を得意とする選任官はもちろんのこと。火や水、雷ですら使う時は使う。景気の良い時なら報酬もたんまりとはずんでくれるので、特に駆け出しの選任官には好評だったりする。ただし、長期で雇ってもらうにはある程度のコネがやはり必要だし、景気が悪くなるとその分報酬が激減することもよくあるので浮き沈みの激しい業界としても知られている。
「そ。あたしの宿屋のある辺り一帯はそれで全部潰されちまってねえ…参ったもんさ、ほんと」
タバコを指にはさんだ右手のひらへ、あごを預けて視線は遠い。今は体の幅も広くてけばい化粧にがさついた肌のオバサンなので、こういう物憂げな表情をされても何ともない。が、一昔前はジャヌアでも知らぬ者のいないほどの美人だったというフロリス。当時はこんなポーズ一つで何人の男を手玉に取っていたのだろうか。
