「…でも補償金とかそういう金はもらったんだろ？」
「雀の涙ってやつさね」
「公的な区画整理ならそれなりの額が請求できるんじゃねえのか？」
お役所だってそこまで無慈悲ではない。問答無用で住宅や商店ぶっ壊すようなことしたら住民側だって黙ってないこともよく知っているし。それなりの回数区画整理が行なわれている地区なら、土地の代わりに支払われる補償金の制度も完備されているのが普通である。
「公的じゃないからさ。…まったくはた迷惑なもんだよ」
「ほほう。では一体いかなる理由で…？」
「願い事さね。願い事。アレでジャヌアに広い土地が欲しい、って願ったバカがいてね。前回の祝祭でそれがかなっちまったのさ」
たまんないよ、とでも言いたげに灰皿へ、タバコをぐりぐりと押し付ける。半分に曲がったまま放り出されたタバコが呆れと怒りを表しているようにも見える。
あの店主の時とはえらい違いなんだな、と正直に思う。たしかに願い事の内容によっては、誰かにこうやって迷惑がかかることもあり得るわけだ。区画整理並みに広い土地となるとかなりの数の家や商店が立ち退きを迫られることになる。
「なんでまたそんな願い事したんだろうな」
「さあ、ね。おかげでこっちはこんな生活さね」
新しいタバコを一本。マッチでもって火を着ける。
「そうか？ その割にはタバコが良くなってるな？」
ひょい、と太い指の間にあるタバコをつまむ。『クジャラシア』と流麗な印字がしてある。
「…もらったのさ」
「懐から箱が見えてるぞ。赤いやつだから間違いなくロードか」
言われて、さっと隠すフロリス。『ロード』とはタバコの産地クジャラシアでも最高級の葉を使っていることを意味する等級である。さらに選任官が作業工程の重要な部分に加わっているとされるが…詳しいことは数百年に渡る企業秘密とされている。
「こんなのが吸えるなんてな。…ん？ いくらかでも金はもらったって言ってたな？ どこから出たんだ？ その金は？」
「うるさいね。…願い事が当たった奴からみんながもらったんだよ。立ち退き料とか迷惑料ってことでね」
てことは…願い事がかなった奴は今、かなりの貧乏になってるんじゃないのか？ とエーセストは、ふと、思った。当たり前だがこんなジャヌアにそんな金持ちがほいほいいるわけがない。そもそも金持ちなら自分で土地を買うはずだ。
願い事のくわしい内容は分からないが『ジャヌアに広い土地が欲しい』とかそういう曖昧なものなら所有権だけそいつに移ることになった、とかそんなもんだろう。つまり今まで自分で土地持って住んでた連中は言わば店子状態になってしまう。…いくら願い事は必ずかなうようになっているったって、そんな乱暴なこといきなり承諾できるもんなんだろうか…？ 一筋縄ではいかない連中の多い土地でもある。自分にはこうこうこういう権利がある、と主張したって納得されなければ意味はない。警備隊や関係省庁に訴えたって似たようなものだろう。場合によっては命の危険すらありそうだ。
願い主がいくらか払うことで皆が土地を譲った、あるいは所有権だけ移した、とかそんなところが落とし処だったんじゃないだろうか。願い事がかなった人間全てがハッピーになれるわけではなさそうである。調べてみたら実はとんでもない結末になってました…なんてケースだってありそうだ。誰かにかなえてもらった願い事なんてそんなものなのかも知れない。
「相変わらずそういうとこだけは鋭いもんだね…」
「まあな。タバコにはちょっと詳しいもんでな」
…相当ふんだくりやがったな。やっぱり願い主は泣いてるんじゃないのか？
そもそも紙巻を吸ってる辺りから妙だな、と思っていたらしい。普通なら刻みタバコをパイプかキセルで吸うのが一般的でもある。実際、前に会った時には長いキセル…ただし宝飾がどぎつくて閉口した…で吸ってたはずである。葉の味がダイレクトに出てくる葉巻はセルシアスの中央区でもサンザールでも手に入るが、やや値が張る。が、葉を刻んで吸いやすくしてある刻みタバコは安い。だからジャヌアでタバコ、と言えば刻みタバコの方が多いのだ。…しかし紙巻は紙を巻く手間がかかるため若干値段が高くなる。さらに今フロリスが吸っているのは最高級のロード・クジャラシア。値としては高級葉巻にもひけを取らない。
…相変わらず食えねえ女だな。
目の前で悠然と高い紙巻吸ってるフロリス。当たり前だがエーセストにもフォロス老人にも『吸うかい？』と勧めてきたりはしない。
「で…？ 今日はどうしたんだい？」
「お前さんのとこに泊まろうと思って来たんだがな…潰れたんじゃなあ…」
「潰されたんだよ」
…どっちだっていいんだがな…。
「なるほど。宿を探してるってわけだね？」
…他に何の用があるんだ。
「最近は何かと不景気でね。宿屋の方も入れ替わりが激しくてねえ…」
タバコ持ってない左手はテーブルの上。くるりとてのひらを上に向ける。人差し指、中指、小指、と動かして見せたりする。…カウンターから離れたのはこのせいか、と心の中でため息をつくエーセスト。
「ま。色々あるってことなんだけどねえ…」
「…どうかなさいましたかフロリス殿。やや、指がけいれんなぞしておりますな。それはよろしくありませんぞ、かように不健康な生活なぞしておるから指先にまで英気が行き渡らんのですぞ」
