「しっつれいな！ ええい、ちゃんと御覧なさいな。この右上に押してある印を！」
…『セルシアス管内パトマス地区』『魔法技術研究所』『部外秘』
全部公的な印鑑である。エーセストも何度か見ているので間違いない。恐ろしく場違いなことこの上ないが。
「あのな」
「ふふん。これが本当の福利厚生というものなのよ。レ、リ、レー…クリエーなんとかってやつなのよ。セルシアスの祝祭にはこういった意味合いもあるの。主催する側も楽しまないとね。技研にとってもお祭り騒ぎなんだから、やっぱその文書も楽しいものにしないといけないのよ」
「…じゃ、これ、本当に公的文書か？」
「もちろんよ」
よく見ると『魔法技術研究所教導主任室 室長 マルガレーテ・ド・ザウス』の三項目は明らかに後から書き足したものである。さらに内容立案書とやらの提出期限も同じように書き足してある。てことは…
「祝祭のたんびにこの文書、技研の中で出回ってるのか…？」
「そう。えっとね、うんとね、たしか…十回くらい前からかな。それ以前のはまた違った意味で明るかったって話だけど、あたし見たことないから知らない。資料なら残ってるかな、見る？」
別にいいです。…無言で首を横に振る二人だった。
「…つまりなんだ。お前がセルシアス祝祭の主任責任者ってことか…？」
わきへ置いた例の文書は中身を見ないように、見ないようにしながら尋ねてみる。こんなもん見ながら真面目な話、なんてのはなかなかできそうもない。
「ううん、そういうわけじゃないの。ほんとの一番上の責任者は王室付きの学者さんとかお偉いさんから選ばれるし、他のイベントとか夜店とかお食事処の屋台とかゴムふーせん屋さんとかの責任者は商工会議所の有志から出るし。あたしたち技研がやるのは例の『希望願望達成祈願』の仕切りってとこなの」
「きぼうがんぼう…」
「あれ？ あれくさんださんは知らなかったですか、祝祭の時に一般の人から願い事を募るんです。それを…」
「バウア殿から聞き及んでおります。願い事をかなえるのだとか。しかもかなわなかったことは今までなかった、ということでございましょう？」
「なんだ、えー君説明してたの？ それなら話が早いわ。そのお手伝いをして欲しいなー、と。ダメ？」
ぱん、と両手を合わせて上目遣い。これが妙齢の美女なら…いや、若干外してはいるがそういう年齢ではあるのだが、彼女。しかしどう見てもわがままな子供にお願いされてる近所の親戚の兄ちゃんとじいさんである。これでは。
「…そりゃ、正式な依頼なら断る理由もないさ。ただし今月はまた別の依頼があるんだ。…そうだな、長くても十日とかそれくらいしかこっちには居られんのだが」
「うん。それなら大丈夫。多分十日もかからないかな？」
「なんでだよ？ 今から祝祭の準備だろ？ それから祝祭で…しかも七日くらい騒ぐから、もっとかかるんじゃ…？」
「えっとね。明日からなの」
「何が」
「祝祭」
「え…」
技研にとっての準備はそれほどないらしい。願い事を投入する箱を用意して回るだけだし。その箱は前回の使い回しで新たに作る必要もないらしいし用紙も前回のが結構余っているから若干量加えるだけで問題ないらしい。そもそも用紙と言っても技研で余った便箋やら企画用紙やらの裏を使うのである。何人かがハサミでじょきじょき切っていけばそれで済む。さらに足りなくなったらまたハサミで切ればいいのである。
その他の行事やイベントは開催してから準備を進めていくんだそうだ。時折こういう祝祭もあるとのことである…何せ七日やそこらはずっとやってるので、最後辺りで帳尻が合えばそれでいいわけでもある。場合によっては最終日にだけちょろっと顔見せみたいに出店を出したりする連中もいるんだそうだ。大まかな枠組みは王室付きの学者連中が額寄せ集めて決める。だが、実際に細かく決めて実行していくのはセルシアスの市民なのである。前述の商工会議所が先頭に立って旗振って皆を先導していくのだが、セルシアスはすそ野がとんでもなく広いのはここまで歩いてきた二人も十分に知っている。いくら商工会議所ったって全てを把握することは不可能。だから、結構皆で好き勝手にやってる部分もあるのである。そういう雑多なところも含めての祝祭なのだろう。
そもそもどうやって祝祭を始める時期を決めるのか、ということですら大変な秘密とされていて全然知られていない。セルシアスの王室付き広報からいついつに〜という発表があるのだが、今回のように『何日後』という場合もあれば『一ヶ月後』という場合もあるのだそうである。だからセルシアスの人たちは祝祭と言えばこうやって時々はいきなり始まるもんだ、と納得してると言う。
明日…そう言えば通る道すがらたくさんののぼりを見たような気がする…。
「三日くらい前かな。ようやく正式な発表があったの。でね、役所の人総出でのぼりやら看板やら立てて回ったって話よ。まあ、そろそろ祝祭かな、ってみんな挨拶してたからそれなりに準備はしてあったんだけどね」
と、そこで、ぽん、と手を打つ。
「あ、ごめんねー…お茶も何も出してなかったよね。いいお茶が入ってるの。でね、でね、聞いてえー君。あたしにも秘書の人ができたんだけどあの子も…」
エーセストはどうにも事態を飲み込んでいないし、フォロス老人だって目の前の展開の速さに追いついていない。何が一体どうしたのやら。どうも祝祭が明日から始まる、ということに間違いはないみたいだが…。
…そこへ小さいが鋭いノックの音が。
「どーぞー」
脳天気なマルガレーテの声に応えてドアを開けたのは落ち着いた印象を受ける、一人の女性。
「お茶をお持ちしました。ザウス様」
