section4 「運も実力のうち」
…疲れた…。
とりあえず技研の宿泊施設に泊めてもらえることになって、ベッドに倒れこんでしまうエーセスト。技研の依頼を正式に受けた選任官はこうして便宜を計ってもらえるのが普通なのである（パトマス地区には安宿どころか宿泊施設そのものが少ない）。マルガレーテの知り合いでもあるし、依頼内容が依頼内容なので二人部屋の結構いい部屋をもらうことができた。簡易宿泊所やジャヌアの安宿はもちろん、ベンザウリの自分の事務所よりも格段に良い部屋である。ベッドのシーツも白いし大きさも申し分ないし。何よりじゅうたんがきちんと敷いてある部屋に泊まる、なんてのはここのところなかったはずである。
しかしとんでもないことになったものだ…。
「参ったぞ…こりゃ」
実は戻って来てからすぐにマルガレーテのところに直談判に行ったのである。このことを知っていたのか、と。
「うん。知ってたよ。だってちょっと前にドルクをシーカーさんにするって言うからさ。さすがにちょっと違いすぎない？ って止めたもん、あたし」
じゃあ俺がなるのはいいのか、と聞くと。
「まあね。えー君が変わっちゃうのはなんとなくさびしいけどさ。これは祝祭だもんねえ…真剣にやらないとね」
真剣の意味がどうにも横滑りしているような感覚。
…何だってんだ…一体…。
「バウア殿。ではこれからザウス殿の依頼をこなしに行きましょうぞ」
フォロス老人はフォロス老人で、腹一杯肉食ったので満足げな表情でベッドに腰掛けている。やはり棒でも飲み込んだみたいに、ぴん、と背筋を張っているが、本当はこのまま寝てしまいたいのではないか、とか思ってしまう。あの場にぶどう酒やコルム酒がなかったのが幸いというものではある。
エーセストはそのままごろん、と隣り合うベッドに寝転がっている。ツインのベッドなのだ。
「おい…お前はいいのかよ。俺が俺でなくなるってのに？」
「バウア殿がバウア殿でなくなる…さて、どういうことでございましょうや？」
「さっきのあいつの話、聞いてなかったのか？ 俺があの親父になる魔法をかけられちまうんだぞ？」
「おお。あの件でございますか。…しかしバウア殿はバウア殿のままでございましょう」
「…あのなあ…」
「あの立派なお父上になれるのですから。お父上もバウア殿ですし」
そりゃ二人とも『バウア』ではある。
「立派…？ あれがか？」
マクラから顔を回してフォロス老人の顔を見る。…別に冗談を言っているようには思えない。ただ、この老人、真顔で妙なこと言い出すこともあるのでやはり要注意だ。
「立派でございましょう。最高の選任官として世に名を知られ、幾多の人々の感謝を受けておりました。これを立派と言わずして何と言いましょうや？」
「仕事の結果と普段の行いを一緒にするなよ」
「おや…ではご家庭内ではシーカー様は立派ではなかったと？」
「あれが立派な親父ならミミズでも立派になるわな」
「ふうむ…それがしには、そういった感覚はちょっと理解できませぬが」
「…そうか」
「もしかしたらバウア殿はシーカー様になるのがお嫌なので？」
「嫌でない奴がいるかよ。俺が今まで生きてきた年月全部なかったことになるんだぜ？ 嫌でない奴がいたら紹介して欲しいな。そいつが親父になったらいいんだ」
今度は布団に顔を押し付ける。
「一番上の姉貴ってのもな…もうとっくの昔に死んでるんだぜ。願い事も何もあったもんじゃねえだろうに」
「分かり申しました。ではアレクサンダ・フォロスこの身をもってバウア殿のご意向に沿うようにいたしましょう」
「へ？」
「要はバウア殿がシーカー様にならなければよろしいのでしょう？ ならばこの剣をもってカーナボン・エリクシル殿を討ち取って参りましょう。さすれば魔法を使うことかなわなくなります故」
「って、おい…アナンタ…」
「ふふふふ。久方ぶりに血がたぎって参りましたぞ。…これは願ってもない好敵手…」
やばい。目がマジだ。名前の間違いにも気づいていない。腰の大剣を軽く握りなおすと一気にベッドから飛び降り、部屋の出口目指して駆け出す…。
「では御免！ きゃつを討ち取った後はそれがしも…ふはははははあ！」
「待て待て待て！ ンなことしても何もならねーだろ、おい、ちょっと待てって！」
鋭く小さなノックの音。すぐにドアが開く。
「…エーセスト様。今後のことで…」
何がどうなったのか。目を丸くしてみても目の前の出来事は変わらない。
実際のところフォロス老人の方が力は強いのである。それをエーセストが何とか押さえ込んだものだから部屋の中は結構ぐっちゃぐちゃになってしまったりするのである。ベッドや小さなテーブルその他の調度品が壊れなかったのが幸いなくらいである。
「悪い…ルドミラ。どうした？」
