「ええと。ザウス様のご依頼の件なのですが…」
何とかフォロス老人を止められたのだがベッドから頭を下にして落ちたような状態。フォロス老人に至っては床を舐めるような格好である。
「イシド殿もお手伝いくだされ。この孤剣をもってあ奴を討ち取らんとせんことを…！」
「だから今はそれどころじゃねえし、ンなあぶねえことやるなっつってんだろ！」
結局フォロス老人にさるぐつわまで噛ませて椅子に縛り付けてしまう。何かうーうー言ってはいるが、今のところは無視するのが懸命だろう。どうせしばらくしたら何をやろうとしていたか、とかそういう細かいことは忘れてしまうのだろうし。
書類を持って来ていたルドミラはテーブルと組になっている椅子にちょこん、と座っている。なお、もう一つの椅子にフォロス老人を縛り付けられてあるのだ。なるべくそっちを見ないようにしているらしいルドミラ。ある意味お互い様ではある。裸踊り（未遂）を忘れてはいけない。
「なるほど…たしかにちょっと惜しい気もしますけど」
依頼とは別に協力を頼んでみたのだが。やや首を傾げてやっぱりこういうこと言うのである。
「惜しいのか？ 自分が自分でなくなるんだぜ？」
「…そういうところは、まあ、あるのですけど。…では、一体どうなさるお積もりなのですか？」
「明日からの祝祭、願い事であの願い事を打ち消す」
「祝祭は七日間ですから七回の間にエーセスト様の願い事が当たるようにする、ということですか？」
「ああ。毎日願い事を書いて箱に放り込まなきゃならねえんだが…」
フォロス老人に目をやってみる。…縛られながら眠ってしまっているのである、この老人。色んな意味で大物ではある。
ルドミラはさらに顔を傾けて、いや、仰ぐように天井を見ている…考えているのだろうか。しかしすぐに、にこりとした笑みを浮かべる。
「分かりました。ザウス様にもエーセスト様のお力になるように、と言われてますし。できる範囲でなら喜んでお手伝いさせて頂きます」
翌日。祝祭の開始日でもある。
セルシアスの祝祭だから派手派手なイベントや開催式が…と思われがちだが区内の主要掲示板やのぼりに『本日より祝祭開始』と書いてあったり、それらしい『始まりの言葉』が記されたビラが配られるくらいで、結構静かなもんではある。一応王室付きのえらい学者のお言葉で始まることにはなってはいるのだが、式なんぞやったって『セルシアス市民全員集合』なんてのは確実に不可能だからこうやって書面で通知して始めることにした、とのこと。
その前の晩、技研では『希望願望達成祈願』のための箱を用意したり願い事を書くための紙を用意したりしていた。エーセストたちも一応は手伝ったのである。正式な依頼なのだから。…もっとも、エーセストはどうにも身が入らないのは言うまでもない。
「…なんで俺はこんなとこでこんなことしてるんのだろう…？」
願い事を書き込んでもらう用紙をはさみでじょきじょき切りながらそんなことを思ったりもする。
「えー君、手がお休みしてる！ ダメダメだよ、そんなんじゃ！」
技研の食堂のテーブルを使って職員総出でみんなで切ってるのである。マルガレーテの甲高い声にあちこちから忍び笑いが漏れたりもする。普段はこうやって集まることもない職員たちが集合するこの場はやはり一種のレクリエーションの場なのだろう。よほどの急用や大事な仕事がない限り集まるんだそうだ。だから、明らかにぺーぺーの一般職員っぽい若い女の子の隣で技研の副総長ペテル・ラメシス氏が肩までかかるその優美な白髪をなびかせながら楽しそうにじょきじょきやってたりする。こんな光景はなかなかお目にかかれるものではない。
これはマルガレーテが責任者だから、というわけではもちろんない。毎回みんなでやってることなのである。技研の職員と言っても全員が選任官というわけではない。普通に事務作業やる魔法の使えない職員もいる。それだけではなく部署が違えば会う機会が少ないのは技研に限った話ではないだろう。そういったなかなか会うことのできない人と会ったりしゃべったりできる…というのも祝祭の醍醐味の一つなのである。
一休みする時にはお茶やお菓子が出たりもする。本来なら持込み禁止の酒類でちょっと一杯…なんてこともあると言う。やはり『お祭り』なのである。準備段階からも。
しかしその中にフォロス老人はいない。なぜかと言うとはさみを持たせても上手に切れないほど無器用だったからである。しまいには剣を持ち出そうとするので、用紙の原材料となるいらない紙を運ぶ係を命ぜられていたりしたものである。なお、突撃しようとしていたことに関しては…本気で忘れているらしい。「はて？」とか言って首を傾げていた、とのこと。
もちろん用紙を切ることだけが準備ではない。倉庫から願い事を入れる箱を運び出す。箱に破損がないか、穴は開いてないか…などなど細かいチェック。さらに用紙を各地区の担当者に宛てて送らなくてはならない。パトマスの配達局に最低必要数、用紙の入った封筒…いや、これは小包だろうか。それを全ての地区の担当者の数だけ持ち込む。セルシアスの配達局は祝祭関連なら営業時間を無視して受け付けてくれる。必要なら非番の者も動員して明日の朝までに届けてくれるのだ。もちろん、技研からだけの小包だけを受け取るわけではない。他の部署も伝達やら何やらであちこちへ手紙を送る必要があるので、祝祭前後のセルシアス配達局というのは天地が引っくり返ったくらいに大騒ぎになるものだ、とそういう風になっているらしい。
そんな準備が終わったのはすでに明け方になった頃。
もちろんエーセストは気が気ではなかったのだが。あれだけ大量の紙を用意したのである。あれに自分の願い事を書き込んでいくとなると相当に時間と労力を食いそうではある。当たり前だが願い事を書き込む紙は多い方がいい。一枚の紙に書き込める願い事は一つだけだが、箱に放り込める願い事の数に制限はない。一人でいくつ出してもいいのである。そりゃ、たくさん出した方が当たる確率は高くなる。
パトマスにも配られてきた『開始宣言』のビラを受け取る頃。例の願い事を収める箱は各方面にあるイベント会場へと運ばれて行った。これはさすがに配達局の仕事ではないので（用紙の入った小包いくつかとか…ちょっとした荷物程度なら受けてくれるが、いくら何でもこの箱は大きすぎる）技研からの配送を主に請け負っている業者に頼むのである。
