すでにひっそりと静まり返ってしまった技研内。部屋の外へ出ていけない、ということなので例えば自分の研究がある連中はこれ幸いとばかりに研究室で没頭しているのではないだろうか。全員が全員祝祭のお祭りムードというわけではあるまい。
エーセストは自分に与えられたあの部屋にいる。そしてたくさんの紙切れ。これらは全部ルドミラが調達してきてくれた。そしてそのルドミラもテーブルに向かい合って願い事を書き込み続けている。
すると、廊下からごーん、ごーん、ごーん…という鈍い鐘の音が響いてきた。
「これが合図なんです。次にこれと同じ音が鳴るまで部屋から出てはいけない、と」
「おいおい。じゃああいつはどうなるんだ？」
「フォロス様のことですか？ しばらくはザウス様と一緒に行動されるとのことで…王宮の方々がお帰りになったらこちらへ戻ってくるとのことですが」
「王宮の連中が帰る時ってことは…」
「はい。今日の分の願い事が発表になる時でもあります。パトマスは技研があるので中央区と同時に発表になります」
その他の地区には中央区から近い順に発表されていくことになっている。これまでエーセストが通ってきた地区だと、カルテッサ・オレイアム・ジャヌア・サンザール・ラゲーナ・ミニアの順に発表が行き届くことになるのだろう。ただ、そこまできっちり順番通りに発表されるわけではない。サンザールとジャヌアなんてのは多分ほぼ同時に発表されるだろうし、ラゲーナやミニアと言った外縁の地区は若干のタイムラグがあるのではないだろうか。
「そっかあ…じゃあ、こちらも頑張るとするか…静かで集中できるってもんだしな」
「でもあんまり根を詰めるのもどうかと思いますよ？ お茶とお菓子を持ってきましたから、食べながら書きませんか？ ね？ いかがですか？」
どこからともなく取り出したのは、茶の入っているらしいポットとカップが二組。そしてバスケット一杯の焼き菓子である。そう言えばさっきの友達らしき連中から何か受け取っていたっけか…とかそんなことも思う。
「じゃ、ありがたく」
「どうぞ、遠慮なさらずに」
そして…少しの時間の後。再び鈍い鐘の音が技研中に鳴り響く。そして廊下には職員たちがしゃべるがやがやとした音が満ちてくる。抽選が終わったのだ。ルドミラは用事があるとのことで、茶器や空になったバスケットを抱えると、一礼して去ってしまった。やはり立場上忙しい身ではあるのだ。
エーセストは…当選した願い事が発表されると言う玄関ホールに行ってみることにする。一度目で自分の願い事が当たればいいのだが…正直期待はしない方がいいだろう、と思うことにしている。そんな都合のいい偶然が早々あるわけもない。
玄関ホールには多数の職員と…それほど忙しくない連中なんだろう…と正装したマルガレーテの姿がある。この服装は技研でも特別な行事の時のみ一定以上の役職に就いている者が着ることを義務付けられている。ただ…彼女が着ると分不相応と言うかミスマッチと言うか。合うサイズもなかったんじゃないだろうか、とかそんなことまで考えてしまう。細密なレースも見事なすそや袖はだぶだぶだし、豪華な刺繍のしてある肩も幅が微妙に合っていない。まるで子供が無理して親の服をこっそり着てしまった…とかそんな印象すら受けてしまう。それでも誰も変とは思っていないのかそれともこういう人物は結構いたりするのか（選任官に限らず魔法を使うことを生業としている連中にはミョーなのが多い）失笑が起きたりすることもない。
それ以前に場の雰囲気があまりにおごそか過ぎるのもあるかも知れない。うかつに咳払いもできないような空気なのだ。
箱の置いてある台の上に一枚の板が設置してある。これはさっき職員の一人が神の託宣でも掲げるがごとく打ち付けていったものだが、そこへマルガレーテがもったいぶった仕草で紙を貼っていく。ついに当選者が張り出される…。
『金貨百枚欲しい フロリス・ドジャース ジャヌア在住』
…あのやろ、こんなもん出しやがった…。
間違いなくあのフロリスのことだろう。しかし微妙な願い事ではある。金貨百枚て。どうせ当人は当たるつもりなんかなく適当に書いて適当に放り込んだんじゃなかろうか。一生に一度しかない当選発表である。自分の宿屋を取り戻したい、土地を返せ、とかそういうのを願えば良かった…と思って地団太踏んでも後の祭りである。
ある意味いい気味だ、とか思うエーセストなのだが…落胆は隠し切れない。
発表になった願い事を通達するために各地区へ向けて配達局の馬や早便の若者たちが飛び出していく。意思伝達系の魔法を使える選任官がいればこういう時に活躍できるのだが…あれは送り手と受け手と息の合った選任官二人組が必要だし、今技研内にそういうペアがいないのである。去年まではいたのだが、異動でベンザウリに行ってしまって技研では現在伝達システムを再構築中…と、タイミングが悪かったというところだろうか。
もちろん通達はフロリスのところにも届くのだろう。どういう顔をするか見物ではある。
また明日も頑張るか、と思い直しているその場へフォロス老人が姿を見せる。
「おお…バウア殿。ただ今戻りま申しました」
相変わらずのいかつい姿に、ちょっとホッとしてしまうエーセスト。そして同時になんだかこれまでの疲れも感じてしまう。何せ、ほとんど寝てない上にほとんど何も食べていないのだ。腹に入れたのは…願い事書いてる時にルドミラが用意してくれたお茶と焼き菓子くらいのものである。
「おう。お疲れ。俺…ちょっと休ませてもらうわ。それから願い事書くからよ」
「それでございますが」
なぜか辺りをはばかるように見回して…小声。
「ザウス様がバウア殿を呼んでくるように、と。教導主任室でお待ちとのことにございます」
