TheRootSeller005「アフターケア」 [2]

途中経過その２

　ドリス・アンフェルンの証言があってもどうしようもない。もっとペテロの情報が必要だ。
　彼の職業は？他の縁者は？住まいは？
　職業は港でよくたむろしている荷運びだった。黙って仕事をするだけで特に他の荷運び連中との付き合いもない。彼の後見人だった親戚も、彼の葬儀すら嫌がって姿を見せなかった。他に累系はない。
　住まいは港の一角にあった。アーサー自身は事件直後にそこを訪れている。

『何もない部屋だった』

　調書の冒頭にはそう書いてある。
　拾ってきたようなベッドが一つあるだけの言葉通り「寝るだけの部屋」。借りて住んでいるわけではない。潮風にさらされた廃屋の一部屋だ。他にもこういった連中は多い。景気が良かった一昔前の名残だろう。
　調理場も洗面所もない。雨露がしのげるだけだ。
　荷運び達には昼食がつくのが慣例。それに魚のたぐいはいくらでも獲れる。食べるだけなら問題はない。
　朝早くにこの殺風景な小部屋から働きに出る。夕方一杯だけひっかけてまた帰る。
　その繰り返しだったのか…。

実地

「…もう一度行ってみるか」
「あたしも行こうか？なんかの役に立つかも」
　ちょっとためらったが…小さくうなずく。
「いいだろう。ただし、僕の指示には従うこと」
「わかった」

　外に出ることを受付のおばさんに言付けてペテロの部屋に向かった。

　すでに朽ちかけて、触ると崩れそうな壁。窓枠だけが残っている窓。
　べとついたほこりの上に足跡だけが残っている。まるでそれだけが生きているかのように。
「…意外と普通なんだな」
「そお？　こんなもんかしら？とは思うけど」
　ペテロの部屋は階段の下にあった。背の高い彼女にとっては天井ぎりぎりの低さ。
　海からの湿気がこもっているようだ。ドアを開けると薄暗くてむわっとした空気が顔に吹きかかる。
「いや。君のことだ」
　ベッド以外にはほこりがうっすらと積もっている。入り口からベッドの間にだけ、ほこりがない。
「若い女性ならまゆの一つもひそめるのに…」
　本当に何もない上に、どこからか虫でも這い出してきそうな部屋だ。
「ははは。あたしは野宿とかばっかりだから。こんなとこで寝たことだってあるわ」

「見ての通り何もない。家具や食器…生活していた痕跡も乏しい」
「そうかしら」
　一枚の葉っぱをつまみあげる。ベッドの足元に何枚か散らばっている…。
「これは調べなかったの？」
「…ただの葉っぱだろう？どこにでもある」

　楕円形を横に引き伸ばしたような肉厚の葉。大人のてのひらほどだろうか。ロウを塗ったように鈍い光をたたえている。

「これはね…トシンナの木の葉。しかもコトシンナね。一回り小さいから」
「酒場にあったやつか？」
「多分、と言うよりそのものね。この辺に自生してるはずもないし…」
　付け根をじっと見詰める。
「生え換わったあと…二年前から生えてたやつだわ」
「あいつが酒場からちぎって持って来たのじゃないのか？」
「ちぎってきたにしては付け根が揃いすぎてるとは思わない？ぽっきり折れたみたい」

「トシンナの木は二年ごとに生え換わる、って言ったでしょ？　その時にはもう若葉が全部生え揃っているの。だから地方によっては転生する聖なる木、って珍重されてるわ」
「転生…？」
「死んだ者は何かに生まれ変わる…それを進めてこの世の全部の物は何かの生まれ変わりだ、って考え。知らない？」
「いや…」
　軽く首を横に振る。聞いたこともない。

「じゃあ…君はあいつが、その、転生したくて自殺したって言いたいのか？」
「さあ？」
　コトシンナの葉をそっとベッドに置いた。
「そこまではね…人の心が読めるわけでもないし」

証言その五　フローレンス・バガッドの場合

　ペテロ…？
　ありゃあ、悪党だね。あんたもだまされちゃいけないよ。
　あ…？　自殺…？
　そんなことあるかい。ありゃあね、殺されたんだよ。間違いないね。
　なんて言ったかねえ…外国のね、そこのね、たちの悪い連中と関わってたのさ。
　どんなって…そんなことは知らないよ。このボロ家に住んでる他の住人も知らないさ。
　でもね、時々あの狭い部屋から聞こえていたもんさ。ドスのきいた怒鳴り声をね。
　あいつが一度だけひきつった顔で言ってたよ、おお、間違いなんかあるものかね。
『僕は殺される』ってね。
　港で働いてりゃ、そんな誘惑は当たり前。あれは負けちまったんだねえ…。

総括

　その日、アーサーの日記は一言だけだった。
『人心不明』
　調書は証言で埋まっていた。動機については触れていなかった。

「さ、ファイーナ、行こうか」
　今回はコトシンナの木のことを酒場のマスターに教えに来ただけ。二年経っても又来る必要はないだろう。
　背負子にとまったファイーナのくちばしを優しく撫でてやる。
「…不満なの？　そんなもんだって。分かるふりができるほどみんな器用でもないし…ね」