「…うーむ」
腕を組んで、少し、考え込むヨナタン。
「ドリスさん…でしたか」
「はい」
「あなたの考え方は面白い。たしかに一人だけで頑張ってもできないこともたくさんある。しかし…」
こつこつ、と傾いでいる木の机を軽く叩く。どこか迷っているようにも見える。
「僕は何も知らない。だからなんでもやってみたい。それが、分かりますか？」
「ええ。そりゃあ、もう」
「じゃあ…僕が、この僕が自分のこの手で色んなことを経験してみたい。それも分かるでしょう？」
「…いやあの、そういう意味ではないんですが…その、実際問題としてですよ？ 医者が採集ばっかり行ってたら診察の時間なんか飛んじゃうでしょうに」
それを聞いて、ヨナタンはすっと背筋を伸ばして見せる。
「それは自分の時間ですから、睡眠時間削ってでも何しても作りますよ。父の跡を継ぐ、と決めた時から決心してました。どんな無理してでも人の役に立つ医者になろうと」
それは無理じゃなくて無茶だ…とドリスは思った。やっていい範囲とやっていけない範囲がある。ここからビルマコッチャとかに頻繁に買い付けに行ったりしてたらどれほど時間喰ってしまうのか。それよりもアンタにはやることがあるだろーに。どー説明したらいいのかなあ…と考え込んでしまったその時。
突然エマが絞め殺されそうなうめきを一瞬だけ、上げた。その膝の上でファイーナがちら、と片目で見上げる。
小さな両手を顔に押し当て、かすかに肩を震わせながら顔を横に振る。とん、とファイーナが場所を譲るように床に跳び下りると、それが合図だったかのように立ち上がって顔を覆ったまま泣き始めた。
辺り構わず喚き散らす子供の泣き方ではない。自分の声が漏れるのを恐れているかのように、涙が出るのも惜しむように、声を殺して泣いている。三人とも黙っていた一瞬だったから、その岩から染み出す水のような音は部屋に響き渡る。
「……」
そしてヨナタンのところへ。彼の膝に両手を添えて…激しく首を横に振る。子供が『いやいや』をするような仕草だが、そんなに単純なものではない。
「君…どうした？」
「……」
エマはじっと涙に濡れた瞳でヨナタンの顔を見上げたまま。
「…声が？」
「…そうです。エマ・ブランドール。お父様のカルテにあると思いますよ。あの方の最後の患者でしたから」
「父の」
「ええ。外傷はありません。ただ…突然声が出なくなった。原因は分からない。私の遠い親戚にあたるのですが…両親はすでに他界してしまったので、少し前から仕事を手伝ってもらっています」
「しかし、声が」
「有能ですのよ、この子」
それだけ言ってメリッサは、にやっと笑ってエマの後ろに立つ。
「とても」
エマの肩から手を回して…軽く、だけれども優しく抱きしめて見せる。そしてその手をそっと、しかし力を込めて握り返すエマ。それでも視線はヨナタンからはずさない。濡れた瞳のまま、睨むでもなく見詰めるでもなく。静かな…静かな目のまま。
「できないことはやりませんし…私がさせませんから」
ヨナタンが、ううむ、と唸る。そして…考え込んでしまった。
「…姿勢はいいんだけどね」
ビルマコッチャの薬草問屋、マルガレーテ婆さんの店と同様に、ここにもぶどう酒を仕込んだ樽がある。ルートセラーというのは実に大酒呑みが多い。
「そりゃ、まあ」
こんな夜ふけになったら他の得意客も一般の客もまず来ない。大きな扉から差し込む青白い月光。いつものようにカウンターに収まったままのメリッサが白いあごを上げてグラスを干す。お行儀悪くカウンターに腰掛けたドリスがそのグラスを満たしてやる。エマはもう自分の寝室に引っ込んでしまっている。…なぜかファイーナもぴょんぴょんとその後にくっついて行ってしまったものだが。
「今どき自分で全部採集しようなんて心がけの医者はまずいないし。薬草のことなんか何も知らないくせに勝手なことばっか言ってくるの多いし」
「まあね」
「で？ 全部私に押し付ける気？」
「押し付けるっつーか…あんたのお得意様でしょ。とりあえず考えさせてくれ、ってことになったし。時々採集にでも引っ張りまわしてやれば？ 少しは楽になるかも」
「相手はそのつもりらしいけどね」
「じゃあ…いいじゃない」
今度はドリスが思い切りよくグラスを干す。ビンの、最後の一滴まで注いでやるメリッサ。
「まあ…ね」
月光を浴びたままのキャロルがぼおおうーっ…とムカス独特の切ない鳴き声をあげた。まるで遠吠えのように、町のあちこちからそんな低い声がいくつも沸きあがる。しかし、しばらくするとそんな声たちも止んで…また、月の光だけが過去の栄光にあふれた町を静かに照らしていくのだった。
…ところで
「ドリス…あなた、なんでゲルンタージュまで来たの？ 依頼でもあったの？」
「いや、はは、まあ…そんなものかな、うん」
「そお？ エマがファイーナからもらったらしいんだけど。これ」
ころん、とカウンターの転がったのは金属光沢のある小さな塊。小指の爪ほどの大きさだ。
「これって…マニスの樹液の塊よね。きちんと精製すれば陶器のリペアや継ぎにも使えるし、雨にも負けない良質の接着剤にもなるわね」
「はは…それはその…偶然、偶然。ほら、カラスってさこういう光り物に目がないじゃない。マニスの樹ってさ、ちょっとでも傷がつくと樹液が染み出してきてこんな風にキラキラと固まるじゃない。いやーぐーぜんだなー、はっはっは、さすがファイーナだなー、これっくらいだったら金貨一枚にはなるってのにさー、はっはー」
「マニスの樹の下で待ってたわけね。ファイーナが落としてくるのを」
「はっはー、いやーまいったなー、ぐーぜんてこわいなあ、はっはっはっはっは」
「はい」
ひらり、と手のひらを出してにこっと笑って見せる。細い目がさらに細くなる。…ちょっと、怖い。
「…何？」
「一応なわばりってのがあってね。全部とは言わないから三分の一は頂戴」
はああ…っと大きくため息をついて腰の袋を探り始める。小指の先ほどの塊を一つ…二つ。しかしその手を押しとどめるメリッサ。
「…まあ、いいわ。今回は世話になったし。チャラってことにしてあげる。次からは正直に言ってね」
「……」
「あ、でも、やっぱり一つはもらっておこうかしら」
と、ドリスの手の上にあったうちの一つを、ひょい、と取って…しまいこんでしまう。
やっぱりこの人もルートセラーである。
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Materials: WindSeeds, Plantae, 信天庵
