古びた建物が並ぶこの町はゲルンタージュという。一昔前に行き来が盛んだったゲマ街道の重要な拠点でもあった。が、今では見る影もないほどにさびれてしまっている。大陸を東西に貫く東西大街道が整備されてしまった頃、拠点の候補地から遠く離れてしまったせいだ。さらにその影響でゲマ街道そのものまで廃れてしまった。さびれ方がおどろおどろしいまでになってしまったのは急激に人や物が減ってしまったからだろう。
 ゲルンタージュは通りの一つ一つに名前がついている。最近ではこういう町は滅多にないが、当時は当たり前のことだったらしい。きちんとした十字路が一定の間隔で並んでいて、きっちりとした都市計画の下に街づくりが進めれらていったことが分かる。町が出来立ての頃はたくさんの人と物であふれ返っていたのだろう。今はよそへ行くほどの大型馬車もほとんど通らないが、苔にまみれた敷石にうっすらと浮かぶ深い轍には、傷跡のようなその名残がある。
 ドリスはその名前をいちいち指差し確認しながら『メモリオ』と錆びの浮いた札のかかる通りへとはいっていく。ここもやはり古びた幽霊屋敷が整然と並んでいる。しかし、そのうちいくつかは屋敷の一階を改築して商店のようになっている。つまり今では商店街となっているわけだが…建物の上半分と下半分とで雰囲気が全く違う。上は豪華で瀟洒なのに下は生活感がこれでもか、とあふれ返っている。そんなちぐはぐ印象を受けるのだが、不思議とそれが不自然に見えなくなってくる。この町に入ると目が慣れてきてしまうのかも知れない。
「あ、ここだ」
 やはり変わっていない。ここらでは一二を争う大金持ちが住んでいたお屋敷なので、二階のさらに上にこっけいな塔が立っている建物。やや傾いたその塔にはもちろん何の意味もない。その一階に無理やり大きなドアをつけて窓も増やした。こんなかけ違えたボタンのような印象を受ける建物は、ゲルンタージュでもなかなかお目にかかれない。
 その軒下には子馬ほどでやや毛の長いロバのような、長い耳の垂れた、ぱっちりとした黒い目の動物が一頭。頭を下げてもそもそと飼い葉おけから何かを食べている。耳だけ見るとウサギのようにも見えるが…しっかりと地面を踏みしめているのは四本の脚。しかしそのかわいらしく突き出たひづめは三つ。やや丸まった背中はのんびりとした印象を与えてくれる。
 ムカスと呼ばれるこの地方特産の家畜だ。馬ほど速くは走れないし、牛ほどの力もない。エマくらいなら乗れないことはないだろうが、それでも乗るには少し小さい。しかし性質は大人しく飼い主に対しては従順そのもの。極端に肉食に傾かない限り人間の食べ残しで満足するほど頑強な体質だ。遠くへはとても行けないが、荷車でもつなげば近くなら十分に運んでくれる。
「お…キャロルじゃない。久しぶり…ねえ、あたし。覚えてる?」
 キャロルというからにはメスなのだろう。軽く鼻面を撫でるドリスの手を長い舌でぺろっと舐め返す。…しかしドリス個人を覚えているのか害意のない人間だから甘えて見せているのか。ちょっと分からない。
 そんなキャロルの丸い背中をぽんぽん、と軽く叩いて…そうっと店の中をのぞきこむ。組合旗代わりの簡単な看板が見えるくらいで客はいない。使い込まれて飴色の光沢が浮いている木のカウンターの中で、一人の女性が何やら帳面に書き込んでいるだけだ。
 軒下で軽く体から雨を落として…きしむドアを開けて中に入る。ふ、とその女性が顔を上げる。
「あら。珍しいお客さんね、ドリス」
「…久しぶり、とか言ったら? メリッサ?」
 それを聞いて細い目がさらにすうっと細くなった。軽く笑みを浮かべているのだろうけど…あんまり愛想のある表情ではない。まあ、ドリスも人のことを言えたものでもないのだが。

 ルートセラーには大まかに分けて二つの種類がある。ドリスのように各地を巡って薬草やら何やらを売るタイプと、このメリッサ…メリッサ・シーネンのようにどこかに定住して顧客に薬草などを提供するタイプ。もちろんこういう定住ができた方が実入りはいい。固定客をつかめる方が収入が安定してくるし、まとまった時間がある方が色々と作業もできるから品質は良くなる。
 しかし軌道に乗せるまでが大変である。何らかのコネがないとたちまち潰れてしまう。行商するルートセラーなら体さえ頑丈ならどうにでもなる。しかし街中ではまずモノを言うのは『ヒト』だ。だから大手の定住ルートセラーの店で修行を積んでから『のれん分け』してもらうことが多い。数人で共同経営でやってるところも大きな町ならある。そういう店に潜り込んでしかるべき場所に自分の店を構える、というのが一般的だ。しかし…こういうさびれた町ではそういうわけにもいかない。何せ薬協の支部すらあるのかどうか…いや、たぶんないだろう。そんな町だ。メリッサも立ち上げの時は苦労したのではないだろうか。
「いいところに来たわね。エマが戻ったらちょっと付き合って欲しいんだけど」
 背負子をそこらの片隅に置いて一息ついてるドリスに声をかける。ファイーナも店の中に入ってきてしまっているが気にはしないようだ。
「…なんかあったの?」
 のぼりをそうっと乾燥脂や胡椒の入ったビンがびっしりと並ぶ棚と、花の種が入っているらしい小さな布袋がぎっしりと盛ってある樽の間に立てかける。契約のない一般のお客さんにも売っているのだろう。どちらかと言えば商店というより事務所みたいな店舗だが、無駄なスペースがほとんどない。わずかなすきまも見逃さないほどに詰め込んである数々の商品。しかし、無理に押し込んでいる印象はない。こういう優れた収納技術というのは一種の才能ではある。
「少し、意見を聞きたいの。…構わない?」

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